東京は4月に入ってすぐに桜の満開宣言が出ましたが、2、3日前までとても寒くてご近所の桜はまだまだ5分咲きくらいでした
昨日は一気に気温が上がり20度を越え、9分咲き位まで進みました。
これから雨が降るようですが、頑張って咲いていて欲しいです。
この週末は満開の桜が見れるといいですね
さて、私事ですか、先日、京都の武者小路千家御家元にて、道名をいただきました。
ありがとうございました
道名とはお茶名のことですが、裏千家さんでは教授をいたたく前にお資格の一つとしてお取りになるそうですか、武者小路千家では、教授をいただいてからいただくこととなっておりまして、呼び方も『道名』と言います。
毎年、千利休さんの祥月命日である3月28日に御家元でお資格の授与式があり、この度、私も道名をいただくこととなりました。
利休さんが亡くなったのは旧暦2月28日。それを新暦に直し、ひと月送りにして、3月28日を祥月命日とします。
この日の午前中は、大徳寺聚光院にて、武者小路千家がつとめる利休忌の法要がございますので、まずそちらで利休さんにお参りさせていただきます。

当日の朝の新幹線で京都へ向かいましたが、富士山がとても綺麗でした

先日も伺った聚光院ですが、今日は緊張感を持って門をくぐります。
青い空が眩しいです
以前のブログにもご紹介しましたが、聚光院には利休さんのお墓があり、三千家の菩提寺でもあります。
詳しくはこちら→『祇園・八坂神社の節分祭と大徳寺聚光院の特別公開』

関西在住のお社中の方にも何人かいらっしゃいましたが、関東に住んでいる私は利休忌にお参りする機会がなかなか無くて、今回初めて出させていただきました。貴重な体験でした。

襖の奥に、三好長慶の像と利休さんの像がご安置されていて、既に朱塗りのお膳がお供えされていました。
聚光院の名前は、三好長慶の法名から採られています。
印象的だったのは、写真右端に、武者小路千家御家元をはじめ、武者小路千家ご縁の方々のお位牌があり、その前には皆様の名前の入ったお軸が掛けてありました。
時刻になりますと、和尚様がおみえになられ、御家元、奥様、若宗匠、御家元教授の面々がお席につき、読経がはじまりました。
聚光院の利休忌は、毎月利休さんの月命日の28日に三千家の輪番で行われますが、武者小路千家は、3月6月9月12月が担当となります。
法要が終わりましたら、閑隠席にてお呈茶を一服頂きます。

先日伺ったときには、入ることの出来ずに眺めただけだった『閑隠席』に入ることが出来ました
『閑隠席』は表千家7代如心斎が、千利休1 50回忌に寄進された3畳の茶室で重要文化財です

お床には、利休さんの肖像画。お花は、菜の花と彼岸桜、お花入れは古銅経筒です。
祥月命日の利休忌には、菜の花を活ける慣例となっています。
利休さんが菜の花がお好きだったからとか、最後にお床に活けていたのが菜の花だったからとか、「淀川の別れ」にちなんでとか諸説あります。
利休さんが秀吉の怒りをかい、京都の聚楽第から堺へ蟄居を命ぜられ、淀川の船着き場から舟に乗るときに、弟子の細川幽斎と古田織部が秀吉を恐れずに利休さんのお見送りに来ました。その時、淀川の岸には沢山の菜の花が咲いていたと言われています。
当時、ろうそくは大変貴重品で、庶民は菜種油を燈芯にひたして灯りをとっていました。ですから、少し郊外に出るとどこででも菜の花畑があったようです。
どちらにしても、利休さんが亡くなったとき、菜の花が盛りの季節だったようです。

お菓子は道明寺でした。

お呈茶をいただいたあとは、お開きで、午後からの御家元での道名授与式に備えます。

私達もまず昼食をということになりました。
大徳寺の近くの『和久傳 五』さんはメインがお蕎麦。お手軽な値段で和久傳の味を楽しめます

2階へ上がると、カウンターとテーブル席が。平日なのにほぼ満席です。

『たいと筍の蕎麦』をいただきました
お腹も満足したところで、いよいよ御家元に向かいます
御家元での道名授与式の内容は次回につづく
