平素より明星大学男子ラクロス部を応援してくださるOBOG・保護者の皆さま、そして学校関係者の方々やこのチームに関わってくださっている方々、誠にありがとうございます。沢山の方々の応援が自分たちの力になっています。心より感謝申し上げます。
2年 DF 梅津正太郎です。
サマー初戦敗退
ウィンター優勝
あかつき準優勝
ラクロスを始めて1年が経った今、この1年を振り返ってみると、ものすごく濃い1年を過ごさせてもらったと思う。
サマー初戦敗退
明治にボコボコにされて、ラクロスを始めてからの半年?ぐらいの努力を全て否定された気がした。でもやらなきゃ上手くならない、そこで声をかけてくれたのが武蔵大学だった。
長妻さんにDFのノウハウを叩き込んでもらって、アジリティバチバチに決め込んでもらってとても成長出来たと思う。
その結果、ウィンター優勝
嬉しかった。
頑張ってきて良かったと思った。でも自分はDFチームに貢献出来ていなかったなとも思った。
裏で自由気ままに勝負するだけ、考えるのが嫌いな自分にはピッタリ。野球のピッチャーとバッターの勝負みたいで、野球出身の自分にとってはとても楽しかった。
今までラクロスをしていて、1番楽しかった時期がウィンターの時期だったと思う。
そんな中でやまの離脱。
やまがいないとこんなにも違うのかと、ウィンターが終わって1ヶ月ぐらい経ったあかつき練の6on6で思った。やまが気を配って上手く回してくれていたんだなと思った。
「変わらなきゃ」
DFに対する意識が変わったのはやまがいない6on6をしてからだった。
ただ1on1を楽しんでいた自分にとって、DF組織を動かすことは難しいものだった。色々な所に意識を向けて、気づいて仲間に伝える、そんでもって自分のマークマンのケアも忘れずに、大変だった。
それに伴って6on6の振り返りの意識も変わった。めちゃくちゃ大切にした。ここはこうだった、こうした方がいい、武蔵のDF陣と意見を出し合った。
迎えたあかつき
印象に残っている試合は2つ。
1つはこの試合だと皆思っているであろう、福岡大学戦。もう1つは決勝の同志社大学戦だ。
福岡大学戦はブロック予選の最終戦
勝てば1位通過、負けたらブロック3位で予選敗退、そんな試合だった。
大事な試合の先制点は自分のパスミスからだった。何秒ぐらい倒れていただろうか。10秒ぐらいかな、本当に立てなかった。
立てなかったんじゃなくて立たなかったのかもしれない。
皆に合わせる顔がなかったから。
じんに声をかけてもらった時、普段だったら絶対に何か言ってた。
「ごめん」とか「うん」とか何か言ってたと思う、けど何も言えなかった。高校最後の夏の大会の嫌な記憶が一気に蘇ってきてとても怖かった。
そんな中オフェンス陣が2点を取ってきてくれた。1点目を取ってくれた時点で泣いていて、2点目を取ってくれた時はボロボロだった。
試合が終わった後も、助けてくれてありがとうの気持ちで涙が止まらなかった。
お昼ご飯美味しく食べれてよかったなと今改めて思う。
同志社大学戦は決勝戦だった。
あれほど多くの人に見られてラクロスをするのはこれが初めてだった。あかつきに来ている全ての大学が自分たちの試合を見ていると思うとワクワクが止まらなかった。
でも勝てなかった。
勝てなかったのは、どちらも自分が発信を怠ったからだった。スライドマンが誰かの発信を怠っての2失点だった。
届かなかった。
すごく責任を感じた。
間もなく最後の新人戦大会である「あすなろ」が始まろうとしている。
あかつきで自分を救ってくれたこのチーム。
恩返しするチャンスはこの大会だけ。
今度は俺が救ってやる。
あの時救ってくれた仲間のために。
しんどくなったらあのパスミス思い出せ。
何のために帰りの新幹線で切り取ったんだ。
あの勝利を美化しないためだろ?
グラウンドでのあの気持ちを忘れないためだろ?
負けてたまるか。
俺の負けん気見してやる。