自分の塾を作った原点 | 柏英数教室 明倫舎 千葉県柏市 学習塾
それは時間講師として勤めていた若い頃に遡ります。

教えていた生徒が一人亡くなっているのです。

落雷による死亡事故でした。

落雷ならば避けることはできなかった?

いいえ、避けられましたよ。

指導者の責任であの落雷事故は避けることができたのです。

一般に、スポーツの指導者はどの競技であっても突っ走り過ぎるところがありませんか。

いついかなる時でも練習や試合をするのが当たり前と思っていませんか。

他人の言葉に耳を貸さない傾向が強くないですか。

自分の満足のために子供たちを利用していませんか。

学歴も学力も低くないですか。

雷の多い地域で生まれ育った私は小さい頃、目の前5メートル先に雷が落ちました。

オレンジ色の光が落ちて行くのを見ました。

怖いなんてものではありません。

おそらく雷に対する恐怖心は誰よりも強いでしょう。

私のような経験をしない限り、大抵の人は真夏に空が真っ暗になって初めて雷雲を意識するはずです。

電車に乗っていて鉄橋を渡る時に、大きな川の河川敷で野球をしている少年たちを土日によく見かけませんか。

雷雨注意報の通りに雨が降っているのに練習や試合をしている光景を私は何度か見かけたことがあります。

あれは指導者の判断でまだ大丈夫だとして雨の中で続けていたのでしょう。

愚かです。

真っ暗になって雨も降っているのに、つまり雷雲が既に真上にあるのが子供でも分かっているのに止めないなんて正気の沙汰ではありません。

では、真っ暗でないとしたら、雷鳴も全然聞こえなければ大丈夫なのでしょうか。

いいえ、どんなに明るくても雷雲が真上にあることは珍しくないですよ。

一般に、雷雨の時に真っ暗になるのは積乱雲の厚みのせいで太陽光線が遮られてしまうせいです。

ところが、時には厚みの少ない雷雲もあるのです。

その場合には真上にあっても明るさは保たれています。

もう30年くらい前になるでしょうか。

夏の高校野球予選茨城県大会で悲しい事故がありました。

空は明るく、試合はふつうに行われていました。

その時に突然の落雷。

塁審を直撃。

残念ながら亡くなってしまいました。

主審は天候に異常を感じられなかったから試合を行っていたのでしょう。

それでも事故は起こりました。

それほど読めないのが落雷です。

とは言え、少しでも危険があるのならば潔くやめるのが指導者、責任者です。

責任ある大人の意思、感覚によって不測の事故は避けられるのです。

亡くなった私の教え子も土日は江戸川の河川敷で野球をしていました。

体は大きくはなかったものの、みんなと一緒に野球をするのが大好きな元気一杯の少年でした。

勉強はそれほどできる訳ではありませんが、塾を休んだことなどありません。

なぜか私に懐いていて、塾に来ると私が仕事中でもじゃれついて来るのがいつものことでした。

私から「クソガキッ!」と言われても満面の笑みだったのを今でも覚えています。

授業中も答えが間違っていても手を挙げて発言を求めるのがいつもの彼の姿勢でした。

そして、ある日のことです。

当時の私は大学院生で、時間講師ゆえに塾は毎日行くという訳ではありません。

休みをはさんで数日後にいつも通りに仕事に行くと、その時の塾長から呼ばれました。

上述の生徒が亡くなったことを告げられたのです。

江戸川の河川敷で野球をしている時に雷が彼を直撃。

意識不明の重体が続いて数日後に亡くなりました。

葬儀の際に塾長がお母さんのところに挨拶に行くと、私に宜しく伝えて下さいと言われたそうです。

たかが時間講師の私。

にもかかわらず、塾から帰る度に彼はその日の私とのやりとりをお母さんに嬉しそうに話していたようです。

お母さんの中には夕飯時にいつも楽しそうに彼が私のことを話すのが思い出の一つとして残ったのでしょうか。

教えていた元気な生徒が亡くなるのは辛いですよ。

言葉では言い表せないほど辛いのです。

じゃれつくクソガキのことを私も忘れられません。

今これを書きながら思い出して涙がこぼれてしまいました。

どうして何の罪もない小学生が命を落とさなければならなかったのでしょうか。

形の上では天災ですから、少年野球の指導者たちは責任を問われませんでした。

しかし、あれは避けられた事故です。

大人の判断で回避できたのです。

だから人災です。

自分たちの欲望を優先して野球を続けさせたがために起こった事故です。

雷雨注意報が出ている時に一番危険な考えは「まだ大丈夫」です。

指導者が雷の怖さを認知していれば守られた少年の命です。

こういったことを背景にこの塾を開いてから、学校でいじめに遭っている生徒を何人か私はあずかりました。

不登校の生徒たちもあずかりました。

利益優先の塾ならばおそらくはあずからない「面倒な生徒たち」です。

ただ単に面倒だからあずからないのですよね。

私は平気です。

塾には居場所の役割もあると考えていますから、赤の他人の私が守ってあげることができます。

いじめに遭っていた生徒も不登校の生徒も一つ間違えたら自ら死を選びかねない状況にあったので、余計に居場所が必要でした。

おそらく一般には塾で最も大切なものは勉強でしょう。

しかし、命より大切なものなどない、命があってこその勉強、そのように私は考えています。

誰もが知っている有名な塾で、教室内で首吊り自殺した女子小学生がいました。

時間講師が生徒を塾内で殺した事件もあります。

大きく報道されました。

塾の中で生徒が死んでしまうことがあるのです。

だからこそ、自分で塾を開くことがあるとすれば優先順位の一番は生徒の命、そう考えて今日まで来ました。

このような塾は異常ですか。

このような塾はキモいですか。

このような塾は狂っていますか。

このような塾はヤバいですか。

このような塾は恐ろしいですか。

隣市では中1の女子生徒が自殺未遂に至ったいじめ事件がありました。

同市内の自宅で自殺した生徒もいます。

市内の駅近くの踏切で生徒が飛び込んだ事件もありました。

守ってあげる大人が一人もいなかったのです。

同市では教育委員会の職員が逮捕されています。

わいせつ事件が報道されて懲戒処分を受けた小学校や中学校の教員も同市には何人もいます。

夜中に他校に忍び込んだ事務職員もいました。

学校関係者だけでく、同市内で一番人気大きい塾の先生が駅前で逮捕されています。

さらに、自殺が絶えないある私立の学校が同市では一番人気となっています。

こういった事実から、私にはまともに思えない街が同市です。

命より大切なものはないと考える私の姿勢は、一般的な同市民には異常としか映らないと思っています。

それで構いませんよ。

でも、一軒くらいこのような塾があっても良いのではありませんか。