幼少期、うちは貧乏だった。いや、一定の収入はあったが、母が徹底して節約をしていた。
風呂水は基本変えない。減った分を足すだけ。残り湯はもちろん洗濯に使用。当時は今みたいに
ポンプが洗濯機についていなかったから、桶で掬って洗濯槽へ何回もかけて移す。
そんなお風呂、冬場は2日に1回となる。
母は兄が将来困らないように、お金をためておこうとしていたのだ。
兄は言葉が遅かったらしい。あと、落ち着きがなく、おそらく今でいうADHDのようなものだったのではないかと
私は思う。そんな兄を悲観して、母は様々なことに準備していた。
私を産んだのも、その一環だった。兄一人では自分たち親がいなくなったときに心配だと、妹をつくっておいたのだ。
そう母から聞かされた時、私は泣いた。母も泣いていたので、つられて泣いたように見えたかもしれないが、
私は自分の存在が、兄の為であって、私そのものをほしくて作られたものではないことが、悲しかった。
生きている意味なんてない。という人もいる。けど、私は自分の生きている意味が、「兄の為であること=私自身に存在理由がない」と感じられ、むなしかった。