私は私〜いつでも、どこでも、誰にも影響されずに豊かに生きる〜

私は私〜いつでも、どこでも、誰にも影響されずに豊かに生きる〜

※※※2017年6月から綴ってきたこのブログ、2024年3月以前の記事を非公開にしました。ありがとうございました。2024年6月27日 8/14プロフィール画像を変更しました メイ※※※


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来月、メイの両親のお祝いの食事会をします。私のきょうだいやその子たちも集まります。コロナや何やかやで計画しては延期になり、また計画しては延期になり、今度こそやっと実現しそうで何よりです。

 

さてそんな全員集合の食事会が決まったのは2か月前。

 

私は夫に、いちおうそのことを伝え、参加するかどうかを尋ねました。

 

「行くよ。予定はあけておく」

 

との返事で、私としてはどっちでもいいんだけど、まだ離婚の話は両親やきょうだいにはしてないし、おそらく夫が夫として私の身内とこういう形で合うのは最後かも知れないし、来るなという理由もないと「参加」という夫の意思を私は受け止めました。

 

そして先日。

 

夫の来月の予定を確認しました。

 

・・・案の定、夫、その食事会の日に仕事を入れてる。

 

ため息がでますね。

 

私がメールでそのことを伝えたところ、夫からの返事は、

 

「本当だ。重なってるね。シフトを代わってもらうよ」

 

でした。

 

まるで他人事。

 

自分の責任ではないかのようなこの物言いが、私はとってもイヤだったことを再認識しました。

 

翌日。

 

仕事から帰ってきた夫、この件について何も言いません。

 

仕方なく私から「食事会の日のシフト、どうなった?」

 

と訊くと、

 

「代わってもらってる」

 

というので、

 

「じゃあ、その日は大丈夫なのね?」

 

と念を押すと、

 

「大丈夫だと思う」

 

とまだこの期に及んでそんなことを言う。

 

「思う」って何!

 

なんていうのかなぁ…

 

離婚を申し出ている妻からの、久しぶりの予定の調整依頼でもあり、それはおそらく最後のお願いで、夫が私の親族とのこういう会に参加するのはきっともうなくて、

 

だからこれは大事な予定なはずなんだけどその自覚もなく、

 

ゆえに、それを軽んじた(と私に感じさせた)ことに「ごめん」のひとこともなく、

 

スケジュールについて今なお「大丈夫だと思う」などと断定を避けた表現を使い、つまりそれは私を安心させていないんだけど、そんなことはお構いなしの、

 

そんな夫と私は30年近く暮らしてきたことを、心の底から情けなく思い、私はもうじゅうぶん頑張ったと「離婚」という選択にまたひとつギアが入った、そんなやりとりでした。

 

私の理想は…

 

・私がお願いした予定は忘れることはなくて、

・仮にうっかりブッキングしちゃっても「ごめん」と謝ることができて、

・再調整したら速やかに自らその結果を報告して、

・「その日はもう間違いなく大丈夫だから」と私を安心させてくれる

 

…ことなんだけど、

 

そういう人と暮らしたいと思うことは、そんなに贅沢で叶わない望みなんだろうか。

私の理想が高すぎるんだろうか。

 

分からないけど、少なくとも、私は、もうこの人とは暮らせない。

 

食事会、どうなることやらですけれど、夫婦としての最後のイベントと思って参加してきます。

 

 

ちょっとモヤモヤしたやりとりだったので、こうして皆さんに聴いていただきました。

 

読んでくださってありがとうございます♪

 

それでは、皆さん、またいつか(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日暑いですね。皆さん、いかがお過ごしですか?

 

さて遅ればせながら野波ツナさんの最新刊を読みました。

 

6月27日新刊が出ます! | 野波ツナブログ (ameblo.jp)

 

正直なところ、私はもう読まなくても良いかなという思いもありました。なぜならもう夫との関係をどうこうしようという気持ちはないからです。

 

だけど、なんといってもツナさんが綴られたものですし、ツナさんからのお手紙の封をやっとあけるような気持ちで読みました。

 

どれもこれも、なるほど!そうそう!確かに!と思うものばかりでした。

 

もしもかつての私がこれらのテクニックを知っていたら…

 

余計なしんどさは感じずに済んだ部分も多かっただろうなと思います。

だけど「夫とは暮らせない」という決断は変わらなかっただろうとも思います。

 

この本の素敵なところは、「あの人」のためにこうしてあげたらいいよ、とか、こういう方法で接してあげましょう、というふうな「あの人をより理解するため」の本ではないところです。

 

あくまでも、もしこれらのテクニックをひとつでも試すことで「あなた(=私たち)」が少しでもラクになれるのなら、といったスタンスです。「あの人」のためというより「あの人の周りの人(=私たち)」への愛情あふれるガイド本なのだと思います。

 

かといって「あの人」を敵対視するわけでもなく。

 

「あの人」という表現や動物さんでの表現にツナさんのお気持ちを感じます。

 

最終章はじーんと胸を打つものがありました。

 

ツナさんの全身全霊をかけられた本だと感じます。

 

私はツナさんのご著書によって救われました。ツナさんの講演会にも足を運びました。ツナさんのご本がなければ、私はいつまでも自分のしんどさを紐解くことはできなかったでしょう。当時は今のようにネットでの情報もありませんでしたし。

 

ツナさんには心から感謝しています。

 

ツナさんの最新刊が一人でも多くの人の助けとなりますように。

 

それでは、皆さん、またいつか(*^^*)

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんばんは。

 

2017年6月24日にスタートしたこのブログ、早いもので7年が経ちました。

 

義母も他界し、家族の状況もかわり、私も元気になりました。

 

ブログを初めた当初は夫となんとかいい関係を築けないものかと模索していましたが、それは無理と悟り、そして私は常に他人軸で生きていたことに気づきました。

 

ブログを読んでくださった方、コメントやメッセージでやりとりのあった方、いいねで励ましてくださった方、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

いただいたコメントやいいねを思うと胸が痛むのですが、これまでの記事を非公開にすることにしました。

 

もう私のブログの役目は終えたと思います。

 

ただ、今の気持ちとしては今後のことのご報告はしたいと思っているので、記事をひとつだけ残しました。

 

どんな頻度での更新になるかは分かりません。

 

7年間、本当にありがとうございました。

 

それでは、皆さん、またいつか(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

夫が、離婚に同意しました。

 

が、彼の言い分は…

 

「ボクはこれまでどおり親子3人で暮らしていきたいと思ってるけど、メイの言うとおりにする」

 

…です。

 

うーん、その言い方、なんだかなぁ。

 

まぁ「離婚なんてイヤだ!」とごねられるよりはラクですが、こんな調子で周囲の人にも言うんでしょうね。

 

最後の最後まで選択の責任の丸投げ感があっぱれです。

 

そんなわけで、もう、いつでもOKな感じなんですけど、そうは言っても他にも整理しないといけないこともあるしで、今しばらくはこのままです。でもそれ前提なので軽やかです。

 

エピソードはたくさんあります。

 

おいおい綴っていくか、つぎつぎ生産されるエピソードに埋もれていくか…。

 

では、皆さん、またいつか(*^^*)