来月、メイの両親のお祝いの食事会をします。私のきょうだいやその子たちも集まります。コロナや何やかやで計画しては延期になり、また計画しては延期になり、今度こそやっと実現しそうで何よりです。
さてそんな全員集合の食事会が決まったのは2か月前。
私は夫に、いちおうそのことを伝え、参加するかどうかを尋ねました。
「行くよ。予定はあけておく」
との返事で、私としてはどっちでもいいんだけど、まだ離婚の話は両親やきょうだいにはしてないし、おそらく夫が夫として私の身内とこういう形で合うのは最後かも知れないし、来るなという理由もないと「参加」という夫の意思を私は受け止めました。
そして先日。
夫の来月の予定を確認しました。
・・・案の定、夫、その食事会の日に仕事を入れてる。
ため息がでますね。
私がメールでそのことを伝えたところ、夫からの返事は、
「本当だ。重なってるね。シフトを代わってもらうよ」
でした。
まるで他人事。
自分の責任ではないかのようなこの物言いが、私はとってもイヤだったことを再認識しました。
翌日。
仕事から帰ってきた夫、この件について何も言いません。
仕方なく私から「食事会の日のシフト、どうなった?」
と訊くと、
「代わってもらってる」
というので、
「じゃあ、その日は大丈夫なのね?」
と念を押すと、
「大丈夫だと思う」
とまだこの期に及んでそんなことを言う。
「思う」って何!
なんていうのかなぁ…
離婚を申し出ている妻からの、久しぶりの予定の調整依頼でもあり、それはおそらく最後のお願いで、夫が私の親族とのこういう会に参加するのはきっともうなくて、
だからこれは大事な予定なはずなんだけどその自覚もなく、
ゆえに、それを軽んじた(と私に感じさせた)ことに「ごめん」のひとこともなく、
スケジュールについて今なお「大丈夫だと思う」などと断定を避けた表現を使い、つまりそれは私を安心させていないんだけど、そんなことはお構いなしの、
そんな夫と私は30年近く暮らしてきたことを、心の底から情けなく思い、私はもうじゅうぶん頑張ったと「離婚」という選択にまたひとつギアが入った、そんなやりとりでした。
私の理想は…
・私がお願いした予定は忘れることはなくて、
・仮にうっかりブッキングしちゃっても「ごめん」と謝ることができて、
・再調整したら速やかに自らその結果を報告して、
・「その日はもう間違いなく大丈夫だから」と私を安心させてくれる
…ことなんだけど、
そういう人と暮らしたいと思うことは、そんなに贅沢で叶わない望みなんだろうか。
私の理想が高すぎるんだろうか。
分からないけど、少なくとも、私は、もうこの人とは暮らせない。
食事会、どうなることやらですけれど、夫婦としての最後のイベントと思って参加してきます。
ちょっとモヤモヤしたやりとりだったので、こうして皆さんに聴いていただきました。
読んでくださってありがとうございます♪
それでは、皆さん、またいつか(*^^*)