これは主役が仰る様に、戦後の日本人に起きた不幸な出来事でした。主役の「山本旛男」(やまもと はたお)さんは、満州で終戦を迎え貨車に乗せられシベリアに向かわれました。その貨車の中(oh my darling)を歌われたのですが、その先に待ち構えているのは所謂シベリアでの「抑留生活」でした。乗客はこれから始まる悲惨な強制労働生活に打ち震えつつ、貨車の中で生活するところから場面が始まって行くのでした。当然抑留され強制労働をさせられる為とてもその状況は喜べるはずはありません。そんな中でも力強く山本さんの歌が貨車に響き渡るのはとても印象深いものでした。さて、舞台はいよいよ抑留生活の悲惨な場面へと展開して行きます。そのあまりの辛さに、或る方は命を落とされ、また脱走を図り結果的に銃殺されてしまうのでした。これを見たときこの世の物ではない様な感覚が私を襲いました。そうです。とてもこの世の物とは思ない現実がそこにはありました。抑留されていた方々にはそれぞれ、家庭と言う物があり、その家族を思うと涙も枯れると言った感じでしょうか。そして、そこでの食事は朝食の黒パン350gのみ、そんな中にあっても彼らは勇敢で、ひたすら「ダモイ(帰国)」を信じ続け日々の過酷な労働に耐え続けるのでした。 そして、数年もの時が流れ、ようやく「ダモイ(帰国)」の日が来たかと思うと何と!そのダモイ最中貨車が突然ある場所で無情にも急停車するのでした。それまでは、海が見えたり、山本さんの言によれば「この貨車は日本に向かってますよ!」と彼らは歓声をあげたばかりです。何とむごい事でしょうか。ダモイの思い虚しく、貨車は「ハバロフスク」で停車。そこで名前を呼ばれた者は貨車を下されました。そして再びハバロフスクでの抑留生活が幕を開けるのです。そこでは、裁判が行われ、山本さん達は「戦犯」扱いされ実に25年もの強制労働生活が結審しました。山本さんは原因不明の咳嗽から徐々に体調が崩れとうとう倒れてしまわれるのでした。その間は野球を楽しんだり、家族に手紙を書くことも許されたりと緩和的措置も取られました。そこでモジミさん(山本さんの妻)は山本さんのご生存の報を受け取り、歓喜されました。「あの人は生きていると言ったでしょう?」「私と約束したんです。あの人は帰って来ると。」とその意思虚しく、山本さんは癌に蝕まれ余命三か月を言い渡されました。「会いたいなぁ」と言いつつ遺書を執筆した山本さんのお姿には泣き崩れました。そしてとうとう山本さんはハバロフスクで落命されるのでした。そして戦後11年もの月日が流れ、漸くダモイはなりました。。遺書はロシア兵に没収されていたので、次々に4名の方がモジミさんのお宅を尋ね、それぞれ記憶した山本さんの遺書の内容を伝えます。最後の4人目のモジミさん宛ての遺書は本当に涙が止まりませんでした。そして迎えた孫の結婚式。「この景色を良く覚えておくんだよ」と言う山本さんのお子さんによる結婚式のスピーチで映画は終焉を迎えました。この映画から私は「生きる」とは「愛」とはそして「希望」とは?と心の奥深くに語りかけられた気がしました。本当に良き作品でした。私も山本さんの様にどんな絶望的状況でも希望を持ち続け、生きて行きたいと思いました。