江戸時代の通信手段として思い浮かぶのが、所謂「飛脚」ではないでしょうか?皆様はこの「飛脚」のお値段は如何ほどか考えた事はお有りでしょうか?

 この「飛脚」現代の様に色々なお値段設定が有り、高い物は「仕立て便」と言う、現代で言う所の速達ですが、実はこのお値段140万円もしたのだそうです。「え?たかが手紙に?140万?」と驚いたでしょうか?それもそのはず、江戸から遠くまでたった2日で結ぶ為、しかも文章量によりお値段が変わるので、高いとこうなるそうです。

 話は変わって現代、私たちは益々所謂「信書」を出さなくなり、今流行りのところで言うなら、「LINE」で、瞬時にしかも多くの方々にメッセージが送れてしまいますね。とても便利な時代と言えましょう。

 しかしながら、この「LINE」含む所謂「SNS」には弊害も当然の事ながら発生し、事が重大になるとそれで場合によっては、命を絶ってしまう。そんな事もある様です。

 では、この「LINE」含む「SNS」は何が問題なのでしょうか?江戸時代でも、顔が見えない相手に信書を送ると言う、表面的には何ら変わりが無い様にも見えます。しかしながら、この「SNS」は瞬時に!と言う所が、所謂問題視されるべき点と言えましょう。何が問題なのでしょうか?それは、一時的に発生した感情の高ぶりをそのままダイレクトに相手にぶつけられしかも、顔が見えない為尚の事それを容易にしてしまう点なのです。そうです!「あいつ!」と思った頃には、もうその文字が相手に到達してしまっているのです。これはいささか厄介な問題です。何がでしょうか?それは一時的な感情でも相手にぶつけてしまえば本末転倒、そこに俄かに「争い」が生ずる訳です。しかも見ず知らずの人間にまで、その激しい感情を簡単に向けられ、後は気に入らなけば「ブロック」と言う手段が執られるわけです。これをやった側は所謂「快感」を味わい、それに味を占め、次々と目に見えない相手を攻撃しては「ブロック」して行くのです。これは、やった側は非常な爽快感を味わう一方でやられた側は、所謂その人の一言で、深く傷心する訳です。

 では、これに対する対処法はあるのでしょうか?残念ながら我々が生きるこの現代に於いて、「SNS」から身を引くのは至難の業であり、それをするのには非常な勇気と決断力が必要です。言わば、この「SNS」は麻薬的依存性があると言えるのです。故にこれにより多くの方々が、のめり込み、場合によっては前述の様な悲惨な結末も考えられる訳です。

 そこで考えたいのが、タイトルに挙げた「江戸時代のもしもし」つまり、簡単には相手と通信できない時代。そこへ思いを馳せる事です。つまり、江戸時代であれば、相手と連絡しようにも、そう簡単には行かない為、その認める文章に熟慮が生まれ、相手への尊敬や人格の尊重が発生し、丁寧な文章表現により相手に自身の思いをお伝えして行く。そうです。そこには私たちの理想とされるコミュニケーションが発生している訳です。

 考えてください。わざわざ140万もはたいて、相手を攻撃したり貶めたりする者はおおよそ皆無なのです。故に私たちは、ここから謙遜に学び「SNS」は怖い物と言う事を常に念頭に置き、今後のコミュニケーションツールの用い方を見直されては如何でしょうか?

 つまり、腹が立っても簡単に相手を攻撃しない、そして、攻撃したい場合は一呼吸置く、そして、「江戸時代のもしもし」に思いを馳せ、一文字一文字を丁寧に相手を思いやるつもりで、紡ぎ、熟慮に熟慮を重ね本当に慎重にコミュニケーションを構築されてはいかがでしょうか?そうです!江戸時代では出来なかった事が、折角出来る様になったのです。是非!それを有効活用しましょう!そしてそれを通してその文章を頂いた相手が幸せになったら素敵ではないでしょうか?そうです!考えて頂きたいのは正に!その点です!これにご納得が行くなら、今この瞬間から脚下照顧!ご自身が編み出した文章は本当に相手に幸福をもたらす文章であろうか?そして、これを頂いた相手は傷心してしまわないだろうか?と自問し、一呼吸してから、メッセージが送れたら素敵ですね!筆者も気をつけます。 是非!「江戸時代のもしもし」を怒りが湧いてきたら思い出してくださいね。