この世に於いて皆が平等に頂いている物は数多くある事にお気づきでしょうか?その1例を挙げるなら、一年の長さ365日ないしは366日です。

 さてこの頂いた366日と言う時間を私達はどう用いて行けば良いのでしょうか?今回はその辺りを見て行きたいと思います。

 先ず、この世に於いて1年は笑っても泣いても365日ないし366日です。その頂いた時間を有意義にするか、はたまた、無意味に過ごすかは、自分次第と言えましょう。では私達に勧められている、1年の過ごし方とは一体何でしょうか?それは、今日を命の限りと思慮し、懸命に生きる事に他ならないのではないでしょうか?そうです。この頂いた1年と言う限られた時間を有意義に過ごすか、無意味に過ごすかで、その結果(終焉)は変化して行くのです。

 私達は、折角頂いた1年です。有意義に過ごされては如何でしょうか?と申しますのも、やはり、私達が笑顔で過ごす為の秘訣へとつながる訳ですが、人間が最後に笑顔でその終焉を迎える為に、一日を大切に、且つ懸命に生きる事は或る意味当然であると言えましょう。何故なら、それを怠ったが故に、「私は一体この世にどんな意味を以て生を受けたのだろう?」と疑問符がついてしまい、その命を閉じる。そんな考えが世では寧ろ持て囃され、どういう訳か、流行の一途を辿り、「今さえ楽しければ後の事なんてどうでも良い!」と強い感情表現の元、その頂いた生を所謂「無駄遣い」してしまい、折角頂いた命を全う出来ず、前述の通り、その歩んで来た足跡に疑問符が付き、「私の人生は実に虚しい限りだ!」と宣言し、その終焉を迎える訳です。

 であるならば、やはり私達は頂いた生に対して今一度、誠実に向き合い、「我何によって生きる?」と自身に常に問いつつ、自身の内面を磨くのに必死にその命を燃やし、懸命に生きる。そんな必要が有る様です。

 何故なら、人間の一生はアッと言う間に終焉を迎え、気付いた頃にはその虚無感に耐えられない程の苦痛が襲い「我が人生実に虚しかり!」とその終焉は実に悲惨になるのです。

 故に私達は、この世に生を受けたらいち早くその事実に気づき、懸命に生きなおす?必要があるのではないでしょうか?

 そうです。この「生きなおし」がないとその人生は実に虚しくなります。故に私達は、今一度姿勢正して、自身の生き様を見直されては如何でしょうか?そうです。この自身の生に対し責任を持って誠実に歩もうとする時その人は「輝く」のです。

 如何でしょうか?そうは言われても人間時にはその箍を緩め、自身の命の洗濯とでも言いましょうか?所謂「息抜き」は人間である以上どうしても必要な訳です。しかし、その「息抜き」が終了したなら、再び立ち上がり自身の生を受けたる意味の何ぞや?と今一度自身に問い直し、気持ち新たに人生を歩み直す必要があるのではないでしょうか?

 そうです。私達は、時に休んでも良いのです。寧ろ休息は積極的に取るべきでしょう。しかし、「今は休みたい」「努力は明日からで十分」とその人生との向き合いを先延ばしにする様では本末転倒です。そんな時は、やはり自身に厳しく時に鞭を入れてでも、自身の生を大切にして行く必要があるのではないでしょうか?そうです。私達は折角頂いた366日なのです。そこまで休んでいる暇は無いのではないでしょうか?人生はあっと言う間です。その間に自身の人生を有意義にするか、虚しくするかは貴方次第です。

 私達は意味有ってこの世に生を受けました。故に、生きるための懸命さや努力は必須条件となるのです。そこまでご理解頂けるのでしたら、是非今一度、ご自身の生に対する向き合い方を見直すのも或いは、人生を有意義にする秘訣かも知れませんね。

 是非、今一度、自身の生に対し誠実に向き合われては如何でしょうか?それを通して、やがて来る終焉に、満面の笑みで「やり切った!」と言えたら最高ですね!366日を有意義にするも虚しくするもあなた次第です!