『今日から思い出』  Aimer








夕焼けの差し込む、誰もいない教室。

教師になってから5年

こんな風景は何度となく目にしたし、別に

特に心に残るとか、記憶の中に染み入るような光景だとか感じたことはなかった。



だけど

ひとつだけ記憶の中に鮮明に残る、夕暮れの風景がある。



――――好きなんだ、先生。


それまで、教室の隅

いつも 授業も上の空みたいに窓の外を眺めていた

特に目立つわけでもない一生徒からの、突然の告白。


教室の窓の前に立つ、彼の背中越しに見えた夕日は

きっと一生忘れられないと思った。



そして今、その一生徒が目の前に立っている。

あの日と同じ、夕焼けを背に受けて。



「先生もここに来たんだ」


「ああ」


「どうして?」

「……ここに来れば、お前に会える気がした」


「そっか。オレも同じ。ここに来れば先生に会える気がした」


少し照れくさそうに微笑む彼は、一年前と何も変わってはいなかった。


***


今から1年前。

夏休み前

終業式の日の夕方、帰宅する前になって教室に名簿を忘れていることに気付いた僕は

担任している3年の教室に入った。

そこには何故か彼がひとり、窓際の かつての自分の席に座り

暮れていく窓越しの空を見ていた。


「なにしてるんだ?」

当然 そう尋ねた僕に彼は


「キスしていい?先生」

返事にはなっていない言葉を僕に投げかけ


気持ちは何度も伝えたよね。

机の上、無造作に広げられたノートを指差した。




「馬鹿げたことを言ってないで早く帰りなさい」

あまりにも唐突で、耳を疑うようなそのセリフに固まる僕に向かって歩き

臆することなく僕の目を捉えた彼は、動けないでいる僕の首に両手を回した。

そして

身長差のある僕の顔を引き寄せ、躊躇うことなく唇を重ねた。



一瞬、抵抗できなかった。

いや、抵抗するどころか

僕は彼のその唐突な行為に驚きながらも

鼓動を高鳴らせ、今自分の身に起こっている信じがたい出来事に

確かに喜びを感じていたんだ。




好きだった。


教室の隅、いつもどこか虚ろな目で空を眺める彼のことが

一生徒としてだけでなく。


そんな自分の気持ちに気が付いていたのに。



「やめないか」

「ふざけるのもいい加減にしろ」



教師として

大人として


僕は彼の気持ちも想いも全部否定し突っぱねた。

その時の彼の悲しそうな顔と共に、この生徒のことは記憶の奥に閉じ込めた。

密かな、一教師としてあるまじき思いも全部。




***


新学期が始まって、再び教室で顔を合わせることになっても

僕は何事もなかったように過ごし、彼も態度を何一つ変えることはなかった。

そのまま一年が過ぎ

一生徒と一教師

その関係が終わっても、僕たちの関係に変化が訪れることはなかった。


彼が卒業して半年が経った頃、かつての教え子経由で

彼が教師を目指していると知った。


そしてその頃時を同じくして彼から

青い夏の空の写真のみの暑中見舞いが届いた。

言葉は何もなかったけど、その空に彼の変わらない心を見たような気がした。




いつか。

いつかまた、彼と同じ場所に立つ日が来るんだろうか。

その時、僕は。 僕は、多分―――――。


何となく考えた自分に、ふと笑った。


そんな事を考えてしまう僕は、やはりまだ彼に未練があるのだろうか。

あの日、思いを受け入れなかったことを後悔してるんだろうか。

時が経っていく中で、時折そんな事を考え、再会の日が来ることを確かに願っていた。


***


「俺さ、やっぱりずっと先生が好きだった。卒業しても、会えなくても」


「……そうか」


「先生もオレのこと好きだったよね」

「それは…」

「いいじゃん、教えてくれても。最後なんだから、白状しろよ」

最後なんだからなんて言うな。

今にも夕日に滲んで消えていきそうな彼の寂しげな笑顔に思う。

手を伸ばせば触れられるのだろうか。


ほんの数メートル先に立つ彼に手を伸ばしかけて、躊躇し引っ込める。


「教師を目指していたと聞いたが、それは」

気を抜くと詰まりそうになる声。

深呼吸して、昂ぶりそうになる気持ちを抑えて尋ねる。

「そうだよ、先生と同じ場所に立ちたかった。

 教師と生徒じゃなくて、同等の…までとはいかなくても、少しでも

 近い立場に立って、それで、一緒にいられたらいいなーとか

 すごい不純な動機だけどさ」


「……」

「でも、オレは先生に憧れてた。少しでも近付きたかった」


やめてくれ。

それ以上言うな。


「オレは、先生みたいな教師になりたかった」


抑えていた感情が吹き出しそうになる。


ダメだ。

ダメだ。


ここで取り乱したら、多分彼は消えてしまう。



「―――――悔しいけど、オレは先生みたくなれなかった。だけど」


ふわり。

離れていたはずの彼の手の感触を頬に感じる。

温かかった。

確かにその手は温かかった。



「先生は、ずっと今のまま……真っ直ぐな先生でいてよ。
 
 いつも背筋をピンと伸ばしてさ。オレ、凛とした先生が好きだったから」


流れ出す涙を、細く長い指が拭ってくれる。



「僕は……僕は、お前のこと」


言えなかった真実の言葉を紡ごうとした僕の唇を

そっとその唇が一瞬塞いだ。


 何も言わないでよ。先生の気持ち聞いても、オレはもう何にもしてあげられないから。

 でも、オレにもう一回だけ言わせて。



―――――ずっと、好きだったよ先生。




耳の奥 

確かにその言葉を残して彼は消えていった。



夕日の差し込む教室。


教室の隅 窓際の席


授業中、横を通り過ぎる僕に見えるようにノートに書いた落書き

「好きだよ、先生」

何度となく伝えられた気持ち。



好きだけど、応えられなかった。

教師として。


だけどいつか再会できたら、応えたかった。




なのに。


なのに。


「――――逝くな」


オレンジ色に染まる床に膝まづき

額をこすり付ける。


逝くな

逝くな

逝くな



泣きながら幾ら叫んでも、きっともう届かない。



彼はひとりで遠く、手の届かないところへ逝ってしまった。







全部 思い出になる。


一教師と一生徒。

結局その一線を超えることができなかった僕と彼との時間は

新たな一歩を踏み出す前に

書き換えることも 重ねることもできない

思い出になった。


伝えたかった想いも、伝えられなかった想いも全部。



今日から、永遠に。


    
                    Fin



↓ランキング参加してます「読んだよ」の合図にバナーを押して貰えると嬉しいです。



にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL長編小説へ
にほんブログ村


寝起きで思いつき速攻書きクオリティ。


次回は「帰る場所」更新できるよう頑張って妄想します。(・_・;)。