28日は、母は寝ていました。
いつもの時間に、娘たちと3人で行きましたが、
30分ぐらいでしょうか、枕もとで、
声をかけてみたり、話しかけてみたり、
耳は最期まで聞こえているらしいと言うので、
おばあちゃん、おばあちゃん!
と声かけていました。
私はもちろん、
起こしに来たよ!
起きて〜
と言いましたよ。
約束ですから。
手を握ってみても、もう握り返してくれることはありませんでした。
よって、録音もしていません。
前日の声が、最後の声でした。
胸をさすってみたりしました。
生きているうちに、やっておかないと、って急に思って。
娘にも触らせました。
肺の音が掌を伝ってはっきりと感じられます。
いわゆる雑音というか、まるで肺に触っているのかと思うほど、
肺がガラガラと音を立てていました。
なんとなく3人でおしゃべりしていたら、
花子とアン(再放送)が始まって、
(部屋にテレビがつけっぱなしになっていて、NHKがついていたのでした)
思わず、3人で主題歌を歌ったりして。
聞こえていたかな?
意外と、悲しいという感じはなく、
おばあちゃん、また起きてきそうだよね、みたいな。
思い起こせば、結構苦しげな呼吸でしたけど、
もうみんな慣れてきていて、
大丈夫、大丈夫、みたいになっていました。
そんな感じでわちゃわちゃして、じゃ帰るか・・・
明日またくるね!
と言って帰ってきました。
この日は平日でしたが、27日28日と、次女は学校休ませました。
母は、常々、生きてるうちが大事な人で、
死んでからきてくれなくていいからねえ〜
生きてるうちが大事!
と、よく言っていまして。
それに、こんな時に学校行っても気が気じゃないみたいだったので。
もういいや、そうそうあることじゃないし。
次女は特におばあちゃん子だったので、
病気で弱っていく姿を見るのは辛いだろうけれど、
これも人生勉強、とみんなで会いに行っていました。
人間が死に向かっていく姿を、
毎日見せてくれたことには本当に感謝です。
私も勉強になりました。
死にたくない思いの強さ。
決心がつかないままでは死ぬに死ねないのだなと。
私だったら、
すぐに三途の川渡っちゃうだろうな。
恐るべし、母の生に対する執着。
そして、それは叶うんだなと。
命の尊さというか。なんというか。
命は時間、って、
日野原先生がおっしゃっていたけれど、
まさにそれだなと。
思いで時間は伸ばせるんだわ。
コロナ禍のため、
面会はできるものの、
長時間の滞在や、ましてや泊まりは出来ず、
(当たり前ですね)
コロナでなければ、
おそらく昨夜からお泊まりするところですが、
後ろ髪を引かれながら帰ってきました。
とはいえ、
全く会えない方も多い中、
少しでも面会できたことは
本当にありがたいことでした。
まさか、また緊急事態宣言が出るとは、この時に。
25日以降は本当に特別に危篤ということで
短時間ですが面会させていただけて
ありがたかったです。
3人でとぼとぼと歩いて帰ったのでした。