週末。
17日土曜日は長女と夫と3人で、
18日日曜日は長女と次女と3人で面会に行きました。
17日土曜日は、本来お風呂の日。
先週はドクターストップで入れなくなっていたのですが、
何故だか、今日は入りましたと。
そして、お風呂上がりだから、疲れているかと思ったのですが、
その割には1人で話し続け、
それも、長女に対して男の人の選び方の話をずっとしていて、
男なんてどうのこうのと、夫がいるのを知っているにもかかわらず、
一回の結婚ではいい人には出会えないとか、
嫌になったらすぐ離婚するべきだとか。
話を変えても、その話に戻る。
正直、聞いていてもなんか、面白くない話をされて帰ってきました。
と言っても、
そのことについて、
病院を出た後誰も言及するでもなく、
みんな、右から左に聞いてくれているのでしょうか。
せっかくお見舞いに行っても、これではな・・・
嫌な予感がしていましたが、
今日は、到着すると、
看護師さんが、
とても安定していて、
何故か、ここにきて、低酸素でもバランスが取れてきて、
オキノームの量を減らし、貼付剤を増やして調子がいいとのこと。
酸素も80代になり、70代になったりしなくなりました。
したがって、体調が良くなり、
いろいろな心配事が増えています。
とのこと。
面会に行くと、案の定、
日記を抱えて何書いている様子。
元気になると、皮肉なことに
文句が増える、というパラドックスで、
今日は、入りたくもないのに風呂に入れられたとか、
行きたくないのに向こうの都合で散歩に連れていかれる。
あの人たちは、散歩に連れて行くとお金になるらしい。
こんなところにいたら、ボケてしまう。
ここにいても、日記に書くことがない。つまらない。
ここではご飯も出て何もしなくていいからボケ人間養成所だ。
とか、
失礼な発言ばかり聞かされました。
まあ、当たっているとも言えますが、
1人ではトイレにもいかれないのに。
外の景色が気に入らない。
などなど。
(途中で看護師さんが退室したこともあって、
いないのを確認してから文句を言い出しました。)
そんな話を聞かされた子供たち。なんだかな。
せっかく心配して忙しいのに面会に行ったのになあ。
施設の人は、もうわかっているので、
文句が増えるのは元気な証拠、
と思っていてくれるようです。
というわけで、
もう毎日きっちり無理して来なくても大丈夫ですよ、
と言われました。
施設の皆様の手厚い看護で、
低空飛行できているのですが、
そういう善意を善意と取ることができず、
すべて悪く取る母にはがっかりでした。
まともな頭でこんなことを言っているとしたら、
相当な性悪女ですが、
認知症の人だと思うから許されるわけです。
実際、認知症なんだと思いますが。
今となってはもうどっちでもいいですが、
私は明日は行かないことにしました。
この復活については、看護師さんもびっくりしているのですが、
生きたいという気持ちが強うからでしょうかね。
そこで昨日ご紹介した「祈り」という映画をみて、
つくづく思ったのですが、
この中で祈る思いは体を変えて行く話があって、
母はそういう思いが強いんだと思います。
その時のエネルギー源は怒りです。
不平不満がエネルギー源なのだとつくづく感じました。
文句を言っている時は、本当に生き生きしていて、
水を得た魚のように喋っていましたから。
今日も1人オンステージでした。
みんな黙って聞いていてくれます。家族もスタッフも。
もはや、本当に誰も反論したり嗜めたりする人はいません。
ある意味、
本当に、幸せな最期を迎えています。