自分の意見を通したい知人に

 「こいつだけは無理って人いる?」と聞いてみた。

 

 そうすると

 「周りはしているのに、周りと違ってはみ出そうとする人」と答えが返ってきた。

 

 そのような奴を見ると、イライラしてしまうらしい。

 

 私はそのような場面を見てもあまり何も思わないけれど、恐らく誰かの指示があった際にイレギュラーな行動をしてしまう誰かを見たら、その指示した人間の怒りを買ったり、最悪雰囲気が悪くなる可能性を考えてしまうのかもしれない、と考えた。

 

 ただ仮にその前提が正しいとするならば、どうして怒りを覚えるのか疑問に思い、考えてみた。

 一つ、どうして空気が読めないのかわからないため。

 二つ、雰囲気が悪くなった時のことを考えることができないのかわからないため。

 三つ、そんな空気の読めない人と同じ集団にいることで自分と考えが合わないということだからやりづらいと感じたため。

 

 自分の軸を確かに持っている人は、自信のない人と自信がある人に大きく2分されると思う。

 ちなみに、この人は前者である。そのことも考慮すると、自分はマジョリティーの考えを持っているはずなのにどうしてそのような行動に移すのか理解ができないマイノリティに対して怒りを持つ。

 そこには、俗世に省かれていない自分の価値観に自信が持てていないその人自身が見え隠れしていると思う。

 

 言いたいことは、怒りと自信には相互関係があるのだと思う。

 

 ただ、目に見えて自信がある人も怒ることはある。それは、自分の考えが正しいから!と押し付けているようにしか見えないので、その人も心の根底は自信がないのだなと感じる。

 

 みんな、自分は一人ぼっちで実は自信がなくて、誰かに認めてほしくて寂しいんだなと、まぁそんなもんだなと思った。

 それでも人は関わって生きていかないといけない。本当は怒りたくないのに怒らない時も、面白くなくても笑わないといけない時もあるかもしれない。

 でも、みんなそう。結局、みんな一人。でも、みんなそうなら逆にみんな一緒てことな気がして、今日もまた生きていけるような気がしてきた。