明光暁院の巡礼日記

明光暁院の巡礼日記

西国33所観音霊場・洛陽33所観
音霊場を巡礼しています。
その巡礼の様子や、日々感じるこ
とを随時更新していきます。

西国33所特任先達・洛陽33所の先達の資格を持つ先生が、巡礼中に起こったこと、気がついたことなど、様々なお話を展開します。


日本に住んでいる方なら、四国の近くの人達は「四国八十八ヵ所巡礼」。東京にお住まいの人達なら「坂東三十三所巡礼」。そして私達近畿圏の人達なら「西国三十三所観音巡礼」とおおよそ決まっています。私達は、今の人生、そして死んだときの為に白い笈摺(おいずる)と集印帳を各寺の朱印で満願にすることにより、罪有りて死んだとしても、必ず極楽へ行けるのだと閻魔大王が約束してくれているのです。これは1300年前から従行しており、自分の為は勿論、親が死する時の為に子供が巡礼し、いざという時には、葬儀の際にその満願した笈摺を着せて、朱印帳を枕にして極楽へ送りだすのです。また、巡礼することにより、健康を得ることができ、病気が治ったという話も多く聞きます。



Amebaでブログを始めよう!


                   (当院宗徒さん巡礼風景)

私はある縁により、単立真言系の当院を運営しております。

ひと言で寺院といいましても日本には数知れぬ寺院が存在し、どのお寺も、皆、独自の考えや個性のもとで様々な手段で説法や諸法、修法、行事などを執り行っているのです。

「この考え方、このやり方こそが仏の道である」とはありません。

各寺院が各々独自の方法で仏の道を行じ、また、説いているようです。


                       (当主説法)


私自身修法させていただいていても、当院におられる本山の阿闍梨と意見交換をさせてもらうこともよくあります。

私は、西国三十三所観音霊場並びに洛陽三十三所観音霊場の先達をさせていただいています。
毎週毎週、当院宗徒のいろんな方々と観音霊場を巡礼しています。

この観音霊場の各寺院は、1300年前もの昔から引継がれて存在している由緒正しき寺院です。
様々な宗派の寺院があり、また、歴史的にも有名な寺院、有名なお坊さまたちが携わってきたお寺ばかりであります。

1300年間、姿が変わることなくあり続ける寺院ばかりです。

美しさや煌びやかさは色褪せても、1300年間、多くの人々の色んな願いを受けとめてこられた仏さまが在られるのです。

移り行く日本の姿を戦火の中で耐えながらも同じ場所から変わらずに、私たちをじっと見守ってくださっている仏さまがおられるのです。

1300年もの間、姿を変えることなくおられる仏さまと同じく1300年の間に参拝にきた方々のお経による勤行の声を聞き続けてくれているのです。

きっと私たちのご先祖の方たちも、同じ場所で同じ仏さまの前に立ち、現世の私たちと同じようにお経を唱え、同じように祈りを捧げてきたと思います。

そんな想いを巡らせると、ある感動が生じてくるのです。

きっと、私たちの遺伝子に、過去に私たちと同じ場所で同じ仏さまの前に立ち、同じ祈りを捧げてきたであろう先祖の遺伝子の情報があるはずなのです。

そう考えると、仏さまの前に立ち手を合わせていると、自分ひとりである体の中に幾多の先祖の姿を感じることができるのです。

意識はしていなくとも、その場所に立ってホッとするということこそ、前世の自分と対面しているということかもしれません。

観音霊場巡礼の目的は三つあります。

一つめは、自分の親が死するときの準備(自分が死するときの準備でもあります)。

観音霊場を巡礼して閻魔大王お墨付きの観音さまの宝印をもらった笈摺(おいずる)を、親が死んだときに着せてあげることが最大の親孝行といわれています。


                       (巡礼風景)


我が親のために我が子が、親が三途の川を渡るための絶対的な準備をしてあげることは、親が生きている間にどれほどの迷惑をかけていたとしてもてもできる、唯一の親孝行でしょう。

二つめは、私たちの先祖供養。
私たちの先祖を想って手を合わせ、そして先祖代々追善菩提のためにお経を唱えて写経を納めるのです。

三つめは、自分自身が生まれ変われるように。
二つめの先祖供養をすることで、自分自身が生まれ変わるということを知ることができるのです。

先ほどもお話したように、観音霊場を巡礼している自分の中に、遠い過去、同じように巡礼している先祖の姿を垣間見ることができるようになります。

すると今まで自分が苦しんできた己というカルマ(業)から徐々に解放され、今の自分はこのままで良いと認めて許すことができ、それこそが生まれ変わる機会となるのです。

今の自分のままで新しい本当の徳を積んで生きていくことこそが人生の目的であり、自分の中にある脈々と続く先祖からのカルマ(業)を解消していくことであるのを知るのです。

仏さまの前で手を合わせて自分の過去や先祖、親のことを想ってお経を唱えるとき、左手に自分の過去と親や先祖のことを想い、右手に自分(我)感じる。

日本の仏教では、その逆で右手が先祖、左手が我であると言うのですが、手相では左が先祖で右手が自分ということになっています。

ですので、当院では左と右を、入れ替える思想としています。
そうすることで、仏さまの前で今の自分と過去の自分、そして先祖と向きあっているという想いになってくるのです。

そして私たちがずっと以前より唱えているお経を何度も何度も唱えることにより、新しい自分が見えてくるはずです。

話は戻ります。

今の時代、変化の嵐にさらされない人や物はありません。
10年前、20年前、30年前・・・、変わらない同じ風景は何処にありますか?

人の姿、ファッション、しゃべり方、建物、車、食べ物、学校、商店、教育など・・・。
(スマホを見ながら歩く人。いまは当たり前の光景は、少なくとも30年前では想像すらできなかったでしょう。)

何一つ、姿や形を変えないものなどない中で、昔からある寺院とそこにおられる仏さまの姿だけは、世の中の諸行無常の波から遠ざかり、全く変わらない姿で私たちを見守っていてくれるのです。

諸行無常の激しい時代に、そこから離れて見守ってくれている仏さまの前で手を合わせることでしか、自分を見つめ直す機会が与えられない時代なのかもしれません。

このような理由で、私は西国並びに洛陽を合わせた六十箇寺以上の寺院を巡礼させていただいております。

そして日本の仏教道の中心は何かということを、いつも冷静かつ中庸的に考え続けることで、我が寺院は成り立っていることを感じています。

皆さま。機会がありましたら一緒に観音霊場の旅に出かけませんか?
くわしくはお問合せください。

・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,・.。*・:,
尚、これより以下の広告宣伝は明光暁院とは全く関係ありませんので、ご留意ください。