11月30日、昼から、ソーシャルワーカーWさんとの
話し合いに。
Wさん
「残念ながら、まだ、転院先は、決まっていません。
色々、あたっては、いるのですが。
もう少し、時間がかかると思います。
障害者手帳については、様子を見ないといけないですし、出してみないとわからないです。
1ヶ月以上は、かかります。
委任状を書いてもらう必要があるかもしれません。
また、確認をとりますね。
人工透析については、入っている全国健康保険協会、愛知県支部に、
この用紙にサインして、送ってくだされば、
1万円で済みます。
受領したら、病院に提出してください。」
私
「リハビリのK先生に話をお聞きしたいのですが。」
Wさん
「連絡が取れ次第、こちらから、電話します。」
とのことでした。
転院先は、まだ、決まらないけど、
少しずつ、前に進んでいると思っていました。
その帰り、市役所によって、また、話をしてきました。
申請をする際に、市役所の方との面談と、
夫への質問と、私への質問があるということでした。
転院前に、病院に来て下さることになり、
転院先が決まり次第、連絡することを伝えました。
17時半頃に着くと、腎臓内科、元主治医のH先生から、
電話があり、話がしたいと言われたため、
18時、また、病院へ行きました。
術後でした。
今日は、透析がなくて、手術をしたからか、
顔色が悪く、顔も、辛そうに見えてしまいました。
内シャント手術だけだったようでした。
私 「先生ありがとうございました。
先生が手術を?」
H先生(とても小声で)
「はい。僕がやりました。
S先生が、早く退院させたがっているので、
数値からすると、まだ、入院させてあげたいし、
入院してもらった方がいいと思い、
急遽、内シャントすることにしました。
ホントは、腎臓内科への転科してもいいと僕は、思っているのですが....
これから、
まだまだ、辛い状況だと思います。
僕に相談してくれても、いいですよ。」
と言われました











私達家族にとって、こんな嬉しい言葉は、ありませんでした。
血液内科が退院させたがっているから、少しでも、入院を延ばしてくれようと腎臓内科の先生達が動いてくれたのでした





バスキュラーカテーテルの手術は、結局しませんでした。
後から、また、入院しなければならないからだと思いました。
その時の夫の状態から、そのように決断されたのだと

夫とふたり、H先生に深々と頭を下げました。
初診の時から、真摯な態度で接して下さり、
今も、先生のあの言葉には、救われたのでした





アミロイドーシスによる起立性低血圧と、末梢神経障害が酷く、胃のアミロイドも酷い為、
リハビリが思うように進まず、
その上、アルブミン値が低い為、
スムーズには、透析も進まない

何をどうしていいか?
あちらこちら電話しても、全く、事は、運びませんでした

嘆き悲しむしか、私達には、与えられないのか?
と思いました。
夫が、アミロイドーシスに診断が下った日から、
歌が聞きたくなくなり、無音か、
“戦場のピアニスト”ばかりを、約半年間、
繰り返し繰り返し、何度も何度も、その音楽だけを聞いていました。
“戦場のピアニスト”の人の心境がダブって

今は、歌も聞けるようになりました

今日も読んで下さり、本当にありがとうございました😭
どんな些細なことでもいいので、よかったら、
コメントお待ちしています。