娘(中3)息子(中1)2児の母です。

習い事をきっかけに息子が小6で『PTSD』

診断。その後、二次障害で『強迫性障害』

発症。息子、小6秋から不登校になり、

続いて娘も不登校に。



習い事のはじまり〜今までの

日常で辛かった事、子供たちとの関わりを

お話させていただいています。



子供たちがまた、心から笑って

過ごせる日を願う母の日記です。




前回のお話

はじまりの続き その3『歯車が狂い始める一歩手前』 


1番最初のお話



息子は小学4年生になった。
大きな挑戦の始まりだ。

全国大会に繋がる予選会に
出場する事が決まった息子ともう1人の仲間は
他の仲間達とは違う練習メニューになり
間違いなく練習に対する内容も厳しさを増していた。

練習が終わった後の疲れ方も
今までとは全然違っていた。
疲れきってしまい食欲がない夜もあった。

きっと、あの時中学生たちから感じた
厳しさを息子たちは受けながら日々の練習を
頑張っているんだと。そう感じながら
私も息子のサポートを頑張った。

しかし、息子ともう1人の仲間から
今までの笑顔が無くなっていたのも確かだった。

手から血を出しながら普段、何があっても
涙を見せた事がなかったもう1人の仲間が
泣きながら練習をしている時もあった。
彼は、誰もが認めるエースだったので
息子以上に先生たちからの期待が大きかった。
また、そんな彼の存在が息子を
強くしてくれていた。

日々の練習の成果もあり、4年生ながらも
2人共に全国大会への出場が決まり
結果は、なかなかの好成績だった。
エースの彼は全国小学生の中では11位だったが
全国4年生だけで見ると1位を獲得し
息子は、4年生だけで見ると3位だった。

今思えば、
この4年生で勝ち取った好成績が
更に先生に力が入り息子が
精神的に追い詰められる練習になってしまったと。

この年、全国大会で頑張った2人に
先生は褒める事はなかった。
むしろ、ミスした部分を注意されていた。
「何、やってんだ!練習も適当にやってるから
ミスするんだ!やる気があるのか!」と。

「あります。すみませんでした。」と言う
息子たちに先生は、

「あります。って、
ないからミスしてるんだろ!
また、来年からの大会の方が
大事になってくるからまた明日から
練習をしっかりやって。」と
言っていた。

エースの彼は、その他にも
優秀な選手に贈られる賞を取りメダルを
授与した。努力なしで4年生が獲得できる
メダルではないからこそ、とても誇らしかった。

後日、
コロナもありメダルは教室宛に郵送されたが
まるでプリントを配る時のような渡し方で
笑顔も掛ける言葉1つもなく
先生からエースの彼に渡し
先生はその場を去っていった。

なぜならば、総合優勝でなければ
意味のないメダルだからだ。

エースの彼は
その後、練習に来れなくなってしまった。

先生は保護者に
「とにかく練習に連れて来てください」と。

先生に反抗できない保護者は、先生の言う通り
練習に引っ張ってでも連れて来ていたが
次第にエースの彼は、精神的に追い詰められて
しまった。精神的ストレスから体中に湿疹も
出てきてしまっていた。

「もう、またあの練習はしたくない!
辞めたいって言ってるのに何で辞めさせて
くれないんだよー!!もう疲れた!!」と
泣き叫び家の部屋に閉じこもってしまったそうだ。
その後、教室の先生たちが彼の家にまで行き
説得をしたようだが彼の心は変わらなかった。

後々知ったのだが
この教室では、こういう事は初めてでは
ないようだ。
そして、その子供たちの保護者はみんな言う。

『子供を教室の名を有名にするための
道具にしか思っていない』と。


翌年、5年生になった息子は
エースの彼がいなくなり先生からの指導を
1人で受ける事になった。

その時は、
息子にも目標と夢があり
それを叶えるためには
『自分は頑張るしかない!』と
よく自分に言い聞かせ
自分を奮い立たせていた。


そして
あれだけいた同学年の仲間達が
どんどん辞めていってしまった。

辞めてしまったと言うより
自分から辞めるように仕向けられていたのだ。
人数が沢山いても、結果がついてこないと
教室としては意味がないからだ。

子供たちからお母さんに
「もう、辞めたい」と言わせるために。


つづく