おばあちゃんは70歳近くになって再婚した。


どこからそのお見合いの話が来たのかは分からないが、きっと美容室をやっていた母のお客さんの紹介ではないかと思う。


お見合いの後、

良い爺さんだったよ。あたしゃあの爺さんのところへ行くよと言って、縁もゆかりもない茨城県石岡市に嫁いで行った。


私達家族にはその後弟が生まれた。

成田空港が新たにできて、国際便は成田空港離発着となり東京の奥沢から千葉県に引越した。

おばあちゃんとは近くなったわけだ。


おばあちゃんは私たちの引越し先の千葉県に髪の毛をやりに、ほぼ毎月来ていた。

母は千葉県でも自宅の一角で美容室をやっていた。


後から聞くと、私の両親は新居を建てるのにおばあちゃんから借金をしていて毎月取り立てに来ていたんだと知った。


さすがおばあちゃん。慰謝料全額を長男夫婦には渡していなかったのだ。


私もおばあちゃんとおじいちゃんの住んでる石岡によく行った。

電車一本で行けるとはいけ、1時間ちょっとを子供一人で行くには冒険だった。


一度、土浦止まりの電車に乗ってしまい乗り換えに失敗して、何故か2、3両しかない筑波線に乗ってしまった。

どんどん見慣れないとんでもない田舎に連れて行かれ、半泣きで切符を点検に来た車掌さんに助けていただいた事もあったっけ。


なかなか来ない孫を心配して、おじいちゃんは警察に電話してくれていた。

あまり喋ったことはなかったけど、穏やかなおじいちゃんだった。古文書の先生だった。


おばあちゃん家にやっと着いた時のおばあちゃんの困ったような、怒ったような顔が思い出される。