明治大学男子ラクロス部 HUSKIES blog -3ページ目

『絶望』/ #11 山崎貫太


こんにちは。孤高の遊び人こと山崎貫太です。ブログの順番が後ろ過ぎて、書きたいなと思っていたことをすべて書かれてしまいました。
このままではまずいので、やまちゃん物語~ラクロス編~でも軽くですが書いてみようと思います。

 



まず、ラクロス部に入部した理由は、それまではダンスサークルに入るとかいう訳わからないこと言っていた同じ高校のU作くんの「おれラクロスやるよ」というめちゃめちゃ軽い一言からでした。そこで自分もやろうと心に決め誰にも新歓されず入部をするという荒業をやってのけました。

 


 
入部してからは、「速いシュート=正義」と自分の中で勝手に定義したため、試合で全く点が取れませんでした。このスポーツは向いてないぞと薄々感じつつ、迎えたサマー。

自分より完全に格下だと思っていた熊倉ちゃんの角度0度からゴーリーのヘルメットにあててゴールへぶち込む豪快なまくりシューをボックスで真横から見ていた私は、「これが才能なのか」と天を仰ぎ絶望したことを覚えています。
 
私に絶望を与えたのはそれだけではありません。同期の口の悪さは想像を絶するものでした。江戸川で起きた事件を始め、この四年間でそれまでの人生と同じかそれ以上の罵声を耳にすることとなりました。自分が言われている時は心をどこかに飛ばすという新たな特技も身につけることができたので同期には感謝です!
 


二年生では、初めての肉離れ。治ってまたやっての繰り返し。痛すぎ。腿裏は両足コンプリートするハメになりました。
 
プレーでは、当時のBチームの四年生におんぶにだっこで、何も考えずラクロスさせてもらいました。こんな四年生になりたいなと本気で思えたし、この人たちより上手くなりたいと思って練習してたと思います。

ちなみに、この年の新歓で、「あっ、あいつらアホそう」と思って声をかけたのが、後に周囲からコバコウ、ホリケンと呼ばれHUSKIESに新たな風を巻き起こす男たちだったのですが、その話はまた別の機会に。
 
 

三年生では、初めての半月板損傷。半月板の形が通常の三日月の形ではなく円盤の形をしていました。満月板でした。
 

満月板でした。

 
練習では、目に見えた実力不足により6-6の反省は大体自分のことだし、練習、練習試合、リーグ戦と多大なるご迷惑をかけ続けました。本当にすいません。そんな自分が嫌になって、新座駅から清瀬までのくそ長い道のりを折り返そうか、このまま辞めちゃおうかと本気で悩みながら見上げた空がどちゃくそに曇っていて驚いたけど、あそこで帰らなくてよかったと今では思います。

 

四年生はまだ振り返る気にならないので割愛させてください。
ただ、長年アドバイザーという立場から支えてきたイシケンが、最近ありえないスピードで太っていることが気になるので後で話し合いたいと思います。
このままではどんどん膨らんで爆発して消えてしまいそうで怖いです。
 

また、育成おじさんとして一年生に一つだけ。四年生になって思うことはやっぱり同期は多いほうがいいということです。

だからみんなにはやめてほしくないし、やめたくないと思える同期になってほしいな。

どうしたらなれるのかは全く分からないけど。上手くなるだけじゃなくて、きつい時にきついと言い合えて一緒に頑張れる関係が素敵だなと個人的には思います。途中から入ったとか、マネージャーとか関係なく全員でね。がんばれ。
 
 
学連の活動も人形町まで行って何もしないで帰ったり、試合運営しに行って昼ごはんだけもらって何もしないで帰ったり、事務所に戻す台車を臨海の台車に混ぜて帰ったり、知らないうちに仲悪くなってる奴がいたり、一年間一緒にやってきたのにガッツリ名前間違えられたり、総じて楽しかったです。ありがとう。
 

書いてる勢いでちょっとだけふざけてしまったので不快に思った方は申し訳ありません。
 
こうして振り返ってみると、たくさんの人に迷惑かけたと思うし、体力的にも精神的にも、辛くてキツかったけどなんだかんだ楽しかった気がします。

ラクロス楽しかった。

もしかしたら人生でもう二度と味わえない時間なのかもしれない。

こんな時間が続けばいいな。


とか思ってます。
雨で生田がなくなると喜んじゃう自分もいるのに、こんなことを思うのは変な気もするけど。


勝つしかないな。

一部で一番長い年にしようや。


 
次は女帝、備品の女神、キスケ(おじゃる丸)、ずんぐりなど様々な異名を持つ垣田さんです。どんなブログになるのか、楽しみで寝られないかもしれません。

#11 山崎貫太

『総じていいラクロス生活』/ #66 原 有作

こんにちは。4年生の原有作です。



自分は1年生の頃ラクロス部を辞めようとしてました。そんな自分が引退ブログを書いていると思うとなんだか感慨深いです。



ここまで来れたのは間違いなく、多くの人に支えられたからです。



同期、先輩、後輩、両親、多くの人のおかげで頑張れました。
特に同じポジションだったひさとさん、りきさん、せいたろうさん、じゅんぺいさんには大変お世話になりました。



優しい先輩方で、この人達がいなかったら今頃ラクロスをやってなかったかもしれません。
本当にありがとうございました。




さて、本題のブログですが、感じたことをゆるく書きたいと思います。



自分はDMFという地味なポジションで頑張っています。



基本的に点も取らないし、そんなすごい守備も無いポジションです。
試合をするとめちゃくちゃ疲れるのですが、コーチから「今日試合出てた?」といじられることもあります。


とにかく目立たないポジションなんです。


でも、スポーツにはそういうポジションが必ず必要だと思います。


野球でいうバントが上手い人とか、サッカーのボランチとか、あんまり目立たなくても必要な役割ってあるじゃないですか。


DMFというポジションもそんな風に必要なポジションなんです。


なので、目立たなくても頑張れましたし、今ではこのポジションが気に入ってます。


後輩達にも自分の役割とやりがいを見つけて頑張って欲しいですね。
 

まあでも、DMFに不満がないわけじゃありませんね。


まず、DFなので人を叩く機会があるんですけど、やっぱり叩くことに抵抗はありますね。


ラクロスの創始者はルール作るときなんで人叩くのOKにしたんでしょうね。



自分のモットーは「傷つけるぐらいなら傷つけられる人間になりなさい」なんです。
非暴力を貫くガンジースタイルなんです。



でも、プレッシャーに行かないとみんなに迷惑かけますから、渋々叩いてます。



あと、DMFって人数少ないからめちゃくちゃ練習の本数多い時あるんですよ。


6-6とかほぼ出てる時ありますからね。
労働基準法あったら多分全然守れてないです。

しかも、同じポジションの陽平とか太郎すぐ疲れるんですよ。
スタミナは人それぞれなんでしょうがないですけど「もっとできるだろ!」と内心思うことありました。
でも、2人ともあまりにも死にそうな顔してるので可哀想なんです。
彼らのそんな顔を見ると、おれが行くしかないって気持ちにさせられるんです。


あと、DMFとは関係ないんですけど、ミーティングが長いんですよね。
普通にミーティングしてるだけならいいんですけど、無駄話がとにかく多いんです。
しかも、大体くだらない話題です。
みんな楽しそうなので基本的にいいんですけど、僕は早く家に帰りたい人間なので「その話いまする!?」って思う時もありました。

あと、太郎がメモ書くの異常に遅いんですよね。戸田のメモ技術は多くの後輩に受け継いでほしいです。


まあ、不満をあげたらキリないですね。
でも、人叩く経験もできたし、練習中いっぱい出たからこそ成長できたし、なんだかんだ陽平と太郎にもいっぱい助けられて、2人ともいいやつだし、ミーティングのグダグダも今思えば楽しかったし、いい経験だったと思います。

またそんな経験に加えていろんな達成感もあったと思います。

ラクロス行く朝は、疲れてるし、辛い気持ちもあったけど、練習終わると清々しい達成感があるんですよね。
対人うまく行った時とか、クリアあげた時とか、そういう時も達成感ありましたね。
あの瞬間が好きでラクロスをやってたかもしれません。

いい先輩、後輩、同期もいたし、総じていいラクロス生活でした。

まあでも、やっぱり地味なラクロス生活でもありましたね。

社会人ではもっと目立てる人間を目指したいと思います。





次は高校時代からの同級生、ザキこと山崎君です。
高校時代の彼は本当に野球が上手くて、人から怒られる姿はほぼ見ませんでした。
でも、今は小野沢君に毎日怒られてますね。
悲しいです。
そんな可哀想な彼のブログにご期待ください。

4年プレーヤー 原有作

『伝える』/ #0 宮沢幸輝


「伝える」

簡単そうで難しい。

今シーズン始まるときに自分自身意識してたことでもあり、1年間通してさらに大切さを知ったこと。


車である後輩が
「俺気付いてたんですけど、そーゆーキャラじゃないんで言わなかったんですよね〜」
って言ってた。

そのとき本人にも言ったけど、キャラじゃないとかそういう問題じゃない。

気付いたなら絶対に言うべき。


誰かがいうから良いや〜
自分のキャラじゃないし〜
自分の係のことじゃないし〜
プレイヤーのことだし〜
スタッフのことだし〜

って言い訳しようと思えばいくらでもできる。


たった一つのことでも、

お節介と思われるようなことでも、

一言伝えれば

組織がちょっと良くなるかもしれない

レベルの高いチーム運営ができるかもしれない

そんな風に思って欲しい。



もうなに言いたいのかよくわからないけど、

ハスキーズで、組織に対して思ってることを伝えちゃいけない人なんて、1人もいない。



後輩には

「伝える」

ことを忘れずに

良い意味でハスキーズを変えて欲しいと思ってるし、みんなならできると思ってる。






これだけ「伝える」とか偉そうに言ったから、今の想いを伝えよっかな


脇山

なんで?って言われた回数、堂々の第一位
反省で名前を書かれる回数、ぶっちぎり
あのひろたかでさえキレさせるって相当すごいよ、ほんとに。
成長してないとかよくいじられてるけど、自分のやってきたことには自信持って。(プレーには持つなよ)
期待はしてないけど、応援はしてる。
最後まで口うるさい先輩だと思うけど一緒に頑張ろう。
ついて来てくれてありがとう。


浩二

1年生のとき辞めそうなやつランキングトップ
スタッフから建前で推しメンと言われる男(要するに安パイ)
チャランポランなやつだと思ってたけど、実はちゃんと考えてるんだなーって最近知った。
けど、絶対もっと頑張れる。理由とか言い訳を並べる前にもっと頑張れる。(これが一番伝えたい)
来年、クセでしかない32期ロングをまとめるのは浩二の役目。
今年までは俺とくまにおんぶに抱っこでいいから、東大戦3人で暴れような。
ついて来てくれてありがとう。



最後は入部して、一度も話したことがない同期ロング3人への想い。


(写真右から2番目)

戸田






割愛。






ひろたか

ミーティングくそてきとーだし、練習もやる気ない日わかりやすいし、ほんとに何回むかついたかわからない。
けどラクロスセンスはピカイチで、ロング持ちたての頃から今まで「こいつには負けたくねぇ」って思ってた、ここだけの話ね。
かっこいいグラボだったり、奇想天外なパスカット、最後までラクロス中は頼らせてもらうよ。
しょうもない言い合いも楽しかった、ありがとう。


くま

今でも覚えてるのはウィンターの決勝トーナメントの立教戦、
4点目取られてめちゃめちゃ萎えてた俺に
「こうきがそんなんじゃだめだろ」
って言ってくれたこと。
それ以外にも何回も励まされたし、何回も冷静にさせてくれたね。
お豆腐メンタルな俺を4年間支えてくれたと思ってる。
このままだとただのいい奴になるけど、ほんとのガキンチョは熊倉くん、君だよ。
最後の大会くらい俺が尻拭うからガンガンボールダウン狙って、死ぬ気で勝ちにいこ。
色んな面で感謝してます、ありがとう。



他にも

休日返上でグラウンドに来てくださるコーチ陣
下手くそな自分に愛想尽かさず教えてくださった、28期のDFメンバーの方々
全ての面で一番お世話になったたいがさん
同期より仲良いであろうバカ2人
引退後も相談に乗ってくれたなほさん
試合前必ずLINEをくれるクラスの友達
早く引退しろよとか言いながらYouTubeライブでコメントしてくれる高校サッカー部
そして誰よりも応援してくれてる両親

みんな引退したら伝えます。






あれ?こいつ引退する気?って思うような文章かもしれないけど、そんなことはない。



入部して1度も成し遂げられていない



「関東制覇」



4年間、関わってくださった全ての人の想いを胸に


なにがなんでも明治の歴史を塗り替える





ラクロス中はもちろん、ヘルメットを外してもスタイリッシュ、誰に対してもジェントルマンと定評がある、ゆうさくです!
滑舌は悪いですが、文章なので問題ないでしょう。
是非読んでください。


副将/DFリーダー #0 宮沢幸輝