俺たちのラストシーズン──高田直人(明大中野)
高校、大学と7年間の盟友、染谷からバトンをもらいました。いろいろな意味でこの野球部に伝説を作った高田直人です。
まず初めに、私はこのブログを人生の節目、そして野球人生の終止符として様々な人に感謝を伝える場にしたいと考えています。なので、上下関係に関わらず、敬意を持ってなるべく敬語を使いながら表現できたらと思います。
私は、父と祖父が本野球部のOBであり、幼い頃から神宮球場で東京六大学野球の試合を観戦してきました。そんな憧れの気持ちを持ちながら、中学生の時から明治大学の付属校である明大中野中学校に入学しました。
高校時代は野球で結果を残せなかったものの、幼少期からの思いもあり、大学でも硬式野球を続ける決断をし、明治大学野球部の門を叩きました。
4年間の94%は苦しい思い出ばかりでした。
初めての寮生活で慣れない日々に苦労したり、1年生の時は先輩や甲子園で活躍した同級生のレベルの高さに圧倒され、精神的にも技術的にも大変な日々を過ごしました。2年生の時は脱臼をして思うようなプレーができず、もどかしい時間が続きました。そして、3年生、4年生になってからのことは語るまでもありません。このように、上手くいかないことで埋め尽くされた4年間でしたが、最後までこのチームに残るという選択ができたのは周囲の人間に恵まれていたからだと思います。
まずは、個性豊かな同部屋たち
最初の同部屋ビッグフェイスまさる(4年・西田大流)
2回も同部屋になって思い出は書ききれないほどありますが、俺の菓子やモノをコッソリ使っていたことは忘れません。あと、ネズミを部屋に出現させたのは僕ではなくまさるです。
初めての後輩同部屋だった千田(3年・千田光一郎)
結構自由な奴で、部屋では呼び捨てだったしあまり後輩って感じはしなかったです。一緒にアニメ見たり、ゲームしたりと今でも昨日のように思い出す楽しいことばかりでした。
普段からは想像できない熱狂的な阪神ファン八十(3年・八十慎之介)
色々あったけど、テレビを見ながら寝落ちするのはやめてください!そして、寝るときは電気を消しましょう。同部屋では唯一、文句を言った相手だったけど今振り返ると楽しい同部屋生活だったと思ってます。
初代アナライザー中薗(3年・中薗遼太郎)
朝は爆音目覚ましで起きるけど、昼間はアラームが何度鳴っても起きないほど爆睡していて死んだのではといつも心配してました。
陰の努力家宮崎(3年・宮崎雄太)
毎日夜まで練習することは偉いですが、よく、「高田さん、これください」と言ってきてがめついなと思ってました。主張は強いですが、物静かだったので同部屋に選んで正解だったとも思ってます。
阪神愛が強すぎる温品(4年・温品直翔)
いつも阪神戦の中継を見ながら審判の判定に文句を言っていて、阪神の試合を見ている姿を見て普段からは想像できないほどやんちゃな奴だと思いました。次は、球場で温品を煽りながら野球を観戦したいです。
次に、一緒に苦難を乗り越えたみんな
秘密兵器竜雅(4年・菊地竜雅)
あの日の裏切り行為並びに出来事は一生忘れることができないでしょう(笑)。そして、一生、秘密兵器で終わりそうですが、ラストシーズンは神宮で剛腕を唸らせていることを期待しています。このまま神宮で投げないとただの野球好きなおっさんです。
アニヲタファミリー大夢(4年・森田大夢)
学部も一緒で映画やアニメイベントもたくさん行って、楽しい日々を過ごすことが出来ました。社会人になっても一緒に遊びましょう!とりあえず2025年にまどマギの映画があるので一緒に行きましょう。
自分が就活しているときでもコツコツと作業を進めていた江口(4年・江口陽太)、𠮷持(4年・𠮷持稀紘)
二人からは一番野球をやりたいオーラを感じてました。
オープン戦出場0で春のリーグ戦出場を勝ち取ったポテンシャルの持ち主岡田(2年・岡田啓吾)
初日に絶望した顔でこちらに向かってきたのを鮮明に覚えています。1週間くらい経ったら元気にウエイトをやっていて僕も安心していました。レギュラーを取れる逸材だと思うので、来年はぜひ、リーグ戦でベストナインを取ってください。
150キロを投げる左腕松島(4年・松島元希)
色んな人を見てきたけど一番真面目に取り組んでるのを見てこいつスゲーなと思ってました。
スシローで爆食いしたメンバー
郷原(3年・郷原怜大)
こんな状況でも下を向かずに明るい性格で面白かったです。Max150キロを投げてリーグ戦での登板を期待しています。あと、史学地理学科ファミリーはファミ長を任せるつもりでしたがやめておきます。そして、スシローで後輩を唆して爆食いしたことは絶対に忘れません。
心空(2年・三浦心空)
同期が活躍する中、悔しい気持ちが強いと思いますが上級生になった時に活躍できるように腐らず努力してください。でも、1貫の高い寿司や茶碗蒸しやパフェを食べたのはあなたということは絶対に忘れません。
中野(1年・中野竣介)
僕は、あなたのプレーを見たことがありませんが、1年からフレッシュで活躍することは凄いことです。でも、先輩たちがデザートを食べ始めたころ、ラーメンを頼んだことは忘れません。クソ生意気な後輩です。
長い苦難を共にした杉本
毎朝就活のことについて語り、僕が4月の中旬ごろに面接に落ちまくって絶望したときも励ましてくれたことを今でも覚えています。最後は、悩み抜いた末の決断だったと思いますが、今後の人生で活躍していることを祈っています。そして、僕たちが過ごした場所は鬼哭啾々となるでしょう。まずは、世界を暴いて革命を起こしてきてください。
写真:左から原將一郎(4年)、森田、川越樂(4年)、高田、温品
同期で一番○○した人
1番長い間チームメイトだった福嶋(4年・福嶋耕)
中学から大学まで10年間、ずっとチームメイトで僕のすべてを知り尽くしているのではないでしょうか。僕のことを中学から変わらないと言うことがあると思いますが、それはお互い様ではないでしょうか。それくらい軸はぶれていない人間だと思っています。今まで同じ道を歩んできたからこそ、次から別々の道に進むことを寂しく感じます。お互いに頑張りましょう。たくさんの思い出をありがとうございました。
4年間で1番一緒に飯行った吉岡(4年・吉岡佑真)
3年になった時くらいから毎週、吉岡と原(原將一郎)とご飯を食べに行くのが恒例になってました。大きな思い出はないけれど、何気ない日常にいつもいてくれて、どの思い出も楽しかったです。また、いつでも一緒にご飯に行きましょう。
4年間で1番一緒に遊んだ原(原將一郎)
ボウリングをしたり、大食いをしたり、縁日に行くなどたくさん遊びました。楽しくもあり、悔しくもある思い出ばかりです。色々な経験をさせてもらいましたが、原からは「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」ことを学びました。俺の歴史に1ページをくれてありがとうございました。
4年間で1番一緒にヲタ活した樂(川越樂)
アニメイベントや映画、UFOキャッチャーなどたくさんの思い出がありますが、1番思い出に残ってるのはなぜか新潟で食べた寿司。とてもおいしかったです。引退してもたくさん遊びましょう!そして、川越ファームの皆さん、時々おいしいリンゴを送ってきていただきありがとうございました。美味しく頂きました。
次に、文学部史学地理学科ファミリー
大室(1年・大室亮満)、郷原(郷原怜大)―中村(3年・中村凌輔)の史学地理学科バッテリー、河田(1年・河田凌太郎)を含めたドジャ牽、それを撮影する中薗(中薗遼太郎)をリーグ戦の舞台で見られることを期待しています。ちなみに、ファミ長は中村、そしてファミ長以外がフル単を取ったら叙々苑ルールも継続します。野球も勉強も頑張ってください。
写真:左から中薗、大室、河田、中村凌、高田、郷原
最後に家族
まずは、僕に野球を教えてくれた父と祖父
紆余曲折がありながらも明治大学野球部の4年間を無事に終えようとしています。野球においては思うようにいかない4年間でしたが、全員が同じ野球部を卒部できることを嬉しく思います。今まで僕に野球を教えてくれてありがとうございました。大学野球の心残りとして、個人の結果で恩返しできなかったことがありますが、それはこれからの人生で返せればと思います。
いつも支えてくれた母
大学時代は心配をかけることが多かったと思いますが、大学生活トータルだと元気でやっています。野球でも私生活でも僕を支えてくれてありがとうございました。来年からはより自立していけるように努力します。
結びに
私は大学生活を持って野球を引退します。何事も成功して成長したいと考えるのは当たり前ですが、僕の野球人生は77%が失敗でした。上手くいかないことが多くても野球を続けられたのはいい出会いがあったからだと思います。良くも悪くも私の野球人生に関わってくれた全ての人に感謝をして本稿を終了したいと思います。ありがとうございました。
次回は、サマーリーグの初戦、ファーストプレイで僕の送球をとってくれなかった鶴飼晃大です。
俺たちのラストシーズン──染谷駿斗(明大中野)
俺たちのラストシーズン──鈴木将好(明大明治)
写真:山下
大夢(4年・森田大夢)。大夢は最近トレーニングルームでよく会いますね。ピッチャーとは思えない程体が仕上がってきていて驚いています。大夢とは下級生の時から一緒に昼飯を食べたり、上級生になってからは「やるっしょ」したりしましたね。とても倹約家でカップラーメンしか食べない生活を一時期やっていたけど、最近は常にプロテインを飲んで体に気を遣っているところをよく目にするので感嘆しています。これからもトレーニングもその他の事もつまんなくなんないように頑張ろうね。
よこ(4年・横山陽樹)。よことは冬場に一緒にロングティーを行ったことが印象的です。そこでの横のパワーには驚かされました。そのパワーと同じぐらい、「運」に驚かされています。正直個人的には堅士朗以上だと思います。そんなパワーと運を存分に活かし、豪快な「一発」を今後も期待してるね。
まつ(4年・松島元希)。最近は勉強で忙しそうだけど、休憩時間に荒野行動しましたね。やっぱり時間を空けると下手になっているようで、自分より実力が落ちているのではないかと感じています。まつは本当に優しくて、話していると自然に笑顔になるような安心感があって、楽しかったです。勉強の方が落ち着いたら、また「やるっしょ」しようね。
やましょー(4年・山田翔太)。見た目はすごく怖いけど、関わるとすごく優しくて楽しかったです。「やるっしょ」においては、始めの方はボコボコにされました。初心者に対して容赦ないなとは思っていたけど、それがあったから今があります。なので「師匠」と呼ばせてください。お願いします。
久野(3年・久野悠斗)。商学部の後輩としても、「弟子」としても仲良くしてくれてありがとう。こないだまでシャンクスだったけど、今は違うのでリーグ戦でガンガン真っ直ぐで「押して」いくの期待しています。残り数ヶ月だけどよろしく!
あとは𠮷持(4年・𠮷持稀紘)。𠮷持とは1年生の頃から一緒に自主練習をしましたね。自分と吉持と原(4年・原將一郎)の三人だけで午後練に出たことはいい思い出です。階段打法とか言ってバカにしていたけど、それでオープン戦打ちまくっていたのですごいなと思います。オフには温泉に行ったり、買い物に行ったりしました。とても楽しかったです。誕生日プレゼントを毎年くれているのにあげられていなくてすまん。今年まとめてあげるので、ほしいものを教えてください。4年間ありがとう。
写真:左から鈴木、𠮷持
〇明治高校の先輩や同期、後輩
まずは石田さん(R6卒・石田朗)や中谷さん(R6卒・中谷優斗)、植村さん(R6卒・植村太亮)にはお世話になりました。特に石田さんと中谷さんは高校の時の投手部屋から一緒で、本当にありがとうございました。
石田さんは入寮するときに寮のルールや決まりを丁寧に教えて頂きました。入寮してすぐに原が問題を起こした際、石田さんの部屋に集合して話し合ったことが懐かしいです。
中谷さんは高校の時によくバッテリーを組んでいました。調子が悪い時でもよく声を掛けてくれたので投げやすかったです。大学でもよく遊びに誘ってくれたので楽しかったです。機会があったらご飯でも行きたいです。
次に同期の原(原將一郎)と樂(4年・川越樂)。高校と大学合わせて7年間の付き合いになりました。本当にありがとう。
原は高校の時に「大学で野球を続ける」と言っていて、正直不安でした。案の定入寮してから問題をいくつも起こしましたね。だけど、持ち前の明るさと懐に入る性格で乗り切ったのですごいと思います。その性格でいっぱい楽しませてもらいました。7年間ありがとう。
樂は高校の時にピッチャーを一緒にやっていたけど、コントロールがお互い悪かったね。今は学生コーチとしてチームをサポートしていて大変だろうけど、あと少し頑張ろう。あと、樂の実家のリンゴジュースが好きなので、また欲しいです。7年間ありがとう。
最後に後輩の宮崎(3年・宮崎雄太)、田中(2年・田中陽貴)、和田(1年・和田壮生)。各学年一人ずつしかいないけど、誰かがリーグ戦に出場して活躍してくれることを願っています。周りのレベルは非常に高いけど、何か武器があれば可能性はあると思います。人一倍練習して頑張れ!
〇最後に家族へ
両親へ。小学1年生から現在まで、約16年間野球を続けることができたのは、両親の支えがあったからこそだと思っています。本当にありがとうございました。
お父さんへ。野球の全てはお父さんから教わりました。小学生の時は少年野球チームの監督として指導を行ったり、マンションの前で素振りを見てくれたりしてくれたことが印象に残っています。また、中学や高校で怪我に悩まされた時、マッサージをしてくれたり、怪我によって最適な治療院を探してくれたりして本当にありがとうございました。怪我で気持ちがナーバスになることが多かったのですが、その度に励ましてくれるお父さんの言葉はいつも支えになっていました。連絡をしてくれているのにも関わらず全然返信しないことが多かったけど、とても感謝しています。ありがとうございました。
お母さんへ。高校まで毎日ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたりしてありがとうございました。働きながら毎日家事を行うことはとても大変だったとは思いますが、特に文句も言わずに行っていたので、とても尊敬しています。また、野球についてあまり詳しくないながらも、たまにバッティングについてアドバイスをくれていました。役に立ったかどうかはさておき、野球について考えてくれていたことはとても嬉しかったです。今はたくさんやりたいことがあると思うので、健康に気を付けながら楽しんでください。ありがとうございました。
大学2年生で度重なる右肩の脱臼を負ったとき、何度も励ましてくれて本当にありがとうございました。手術まで受けさせてくれたこともあり、現在もボールを投げることができており、野球をプレーすることができています。野球を好きでいられるのもお父さんやお母さんのおかげです。本当に感謝しても感謝しきれません。この恩はこれから少しずつ返していきます。これからもよろしくお願いします。
〇最後に
最後になりますが、今まで関わってくださった方々本当にありがとうございました。色々な方々に支えられて今の自分があると思いますし、成長することができました。今後は自分も多くの人を支えられるよう精進していきたいと思います。