明治大学野球部
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俺たちのラストシーズン──高田直人(明大中野)

高校、大学と7年間の盟友、染谷からバトンをもらいました。いろいろな意味でこの野球部に伝説を作った高田直人です。



まず初めに、私はこのブログを人生の節目、そして野球人生の終止符として様々な人に感謝を伝える場にしたいと考えています。なので、上下関係に関わらず、敬意を持ってなるべく敬語を使いながら表現できたらと思います。



私は、父と祖父が本野球部のOBであり、幼い頃から神宮球場で東京六大学野球の試合を観戦してきました。そんな憧れの気持ちを持ちながら、中学生の時から明治大学の付属校である明大中野中学校に入学しました。

高校時代は野球で結果を残せなかったものの、幼少期からの思いもあり、大学でも硬式野球を続ける決断をし、明治大学野球部の門を叩きました。




4年間の94%は苦しい思い出ばかりでした。

初めての寮生活で慣れない日々に苦労したり、1年生の時は先輩や甲子園で活躍した同級生のレベルの高さに圧倒され、精神的にも技術的にも大変な日々を過ごしました。2年生の時は脱臼をして思うようなプレーができず、もどかしい時間が続きました。そして、3年生、4年生になってからのことは語るまでもありません。このように、上手くいかないことで埋め尽くされた4年間でしたが、最後までこのチームに残るという選択ができたのは周囲の人間に恵まれていたからだと思います。 





まずは、個性豊かな同部屋たち


最初の同部屋ビッグフェイスまさる(4年・西田大流)

2回も同部屋になって思い出は書ききれないほどありますが、俺の菓子やモノをコッソリ使っていたことは忘れません。あと、ネズミを部屋に出現させたのは僕ではなくまさるです。


初めての後輩同部屋だった千田(3年・千田光一郎)

結構自由な奴で、部屋では呼び捨てだったしあまり後輩って感じはしなかったです。一緒にアニメ見たり、ゲームしたりと今でも昨日のように思い出す楽しいことばかりでした。


普段からは想像できない熱狂的な阪神ファン八十(3年・八十慎之介)

色々あったけど、テレビを見ながら寝落ちするのはやめてください!そして、寝るときは電気を消しましょう。同部屋では唯一、文句を言った相手だったけど今振り返ると楽しい同部屋生活だったと思ってます。


初代アナライザー中薗(3年・中薗遼太郎)

朝は爆音目覚ましで起きるけど、昼間はアラームが何度鳴っても起きないほど爆睡していて死んだのではといつも心配してました。


陰の努力家宮崎(3年・宮崎雄太)

毎日夜まで練習することは偉いですが、よく、「高田さん、これください」と言ってきてがめついなと思ってました。主張は強いですが、物静かだったので同部屋に選んで正解だったとも思ってます。


阪神愛が強すぎる温品(4年・温品直翔)

いつも阪神戦の中継を見ながら審判の判定に文句を言っていて、阪神の試合を見ている姿を見て普段からは想像できないほどやんちゃな奴だと思いました。次は、球場で温品を煽りながら野球を観戦したいです。

 


次に、一緒に苦難を乗り越えたみんな


秘密兵器竜雅(4年・菊地竜雅)

あの日の裏切り行為並びに出来事は一生忘れることができないでしょう(笑)。そして、一生、秘密兵器で終わりそうですが、ラストシーズンは神宮で剛腕を唸らせていることを期待しています。このまま神宮で投げないとただの野球好きなおっさんです。


アニヲタファミリー大夢(4年・森田大夢)

学部も一緒で映画やアニメイベントもたくさん行って、楽しい日々を過ごすことが出来ました。社会人になっても一緒に遊びましょう!とりあえず2025年にまどマギの映画があるので一緒に行きましょう。


自分が就活しているときでもコツコツと作業を進めていた江口(4年・江口陽太)、𠮷持(4年・𠮷持稀紘)

二人からは一番野球をやりたいオーラを感じてました。


オープン戦出場0で春のリーグ戦出場を勝ち取ったポテンシャルの持ち主岡田(2年・岡田啓吾)

初日に絶望した顔でこちらに向かってきたのを鮮明に覚えています。1週間くらい経ったら元気にウエイトをやっていて僕も安心していました。レギュラーを取れる逸材だと思うので、来年はぜひ、リーグ戦でベストナインを取ってください。


150キロを投げる左腕松島(4年・松島元希)

色んな人を見てきたけど一番真面目に取り組んでるのを見てこいつスゲーなと思ってました。



スシローで爆食いしたメンバー


郷原(3年・郷原怜大)

こんな状況でも下を向かずに明るい性格で面白かったです。Max150キロを投げてリーグ戦での登板を期待しています。あと、史学地理学科ファミリーはファミ長を任せるつもりでしたがやめておきます。そして、スシローで後輩を唆して爆食いしたことは絶対に忘れません。


心空(2年・三浦心空)

同期が活躍する中、悔しい気持ちが強いと思いますが上級生になった時に活躍できるように腐らず努力してください。でも、1貫の高い寿司や茶碗蒸しやパフェを食べたのはあなたということは絶対に忘れません。


中野(1年・中野竣介)

僕は、あなたのプレーを見たことがありませんが、1年からフレッシュで活躍することは凄いことです。でも、先輩たちがデザートを食べ始めたころ、ラーメンを頼んだことは忘れません。クソ生意気な後輩です。


長い苦難を共にした杉本

毎朝就活のことについて語り、僕が4月の中旬ごろに面接に落ちまくって絶望したときも励ましてくれたことを今でも覚えています。最後は、悩み抜いた末の決断だったと思いますが、今後の人生で活躍していることを祈っています。そして、僕たちが過ごした場所は鬼哭啾々となるでしょう。まずは、世界を暴いて革命を起こしてきてください。

 


写真:左から原將一郎(4年)、森田、川越樂(4年)、高田、温品



同期で一番○○した人


1番長い間チームメイトだった福嶋(4年・福嶋耕)

中学から大学まで10年間、ずっとチームメイトで僕のすべてを知り尽くしているのではないでしょうか。僕のことを中学から変わらないと言うことがあると思いますが、それはお互い様ではないでしょうか。それくらい軸はぶれていない人間だと思っています。今まで同じ道を歩んできたからこそ、次から別々の道に進むことを寂しく感じます。お互いに頑張りましょう。たくさんの思い出をありがとうございました。


4年間で1番一緒に飯行った吉岡(4年・吉岡佑真)

3年になった時くらいから毎週、吉岡と原(原將一郎)とご飯を食べに行くのが恒例になってました。大きな思い出はないけれど、何気ない日常にいつもいてくれて、どの思い出も楽しかったです。また、いつでも一緒にご飯に行きましょう。


4年間で1番一緒に遊んだ原(原將一郎)

ボウリングをしたり、大食いをしたり、縁日に行くなどたくさん遊びました。楽しくもあり、悔しくもある思い出ばかりです。色々な経験をさせてもらいましたが、原からは「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」ことを学びました。俺の歴史に1ページをくれてありがとうございました。


4年間で1番一緒にヲタ活した樂(川越樂)

アニメイベントや映画、UFOキャッチャーなどたくさんの思い出がありますが、1番思い出に残ってるのはなぜか新潟で食べた寿司。とてもおいしかったです。引退してもたくさん遊びましょう!そして、川越ファームの皆さん、時々おいしいリンゴを送ってきていただきありがとうございました。美味しく頂きました。

 


次に、文学部史学地理学科ファミリー


大室(1年・大室亮満)、郷原(郷原怜大)―中村(3年・中村凌輔)の史学地理学科バッテリー、河田(1年・河田凌太郎)を含めたドジャ牽、それを撮影する中薗(中薗遼太郎)をリーグ戦の舞台で見られることを期待しています。ちなみに、ファミ長は中村、そしてファミ長以外がフル単を取ったら叙々苑ルールも継続します。野球も勉強も頑張ってください。


写真:左から中薗、大室、河田、中村凌、高田、郷原



最後に家族


まずは、僕に野球を教えてくれた父と祖父

紆余曲折がありながらも明治大学野球部の4年間を無事に終えようとしています。野球においては思うようにいかない4年間でしたが、全員が同じ野球部を卒部できることを嬉しく思います。今まで僕に野球を教えてくれてありがとうございました。大学野球の心残りとして、個人の結果で恩返しできなかったことがありますが、それはこれからの人生で返せればと思います。


いつも支えてくれた母

大学時代は心配をかけることが多かったと思いますが、大学生活トータルだと元気でやっています。野球でも私生活でも僕を支えてくれてありがとうございました。来年からはより自立していけるように努力します。



結びに

私は大学生活を持って野球を引退します。何事も成功して成長したいと考えるのは当たり前ですが、僕の野球人生は77%が失敗でした。上手くいかないことが多くても野球を続けられたのはいい出会いがあったからだと思います。良くも悪くも私の野球人生に関わってくれた全ての人に感謝をして本稿を終了したいと思います。ありがとうございました。




次回は、サマーリーグの初戦、ファーストプレイで僕の送球をとってくれなかった鶴飼晃大です。

俺たちのラストシーズン──染谷駿斗(明大中野)

皆さん、こんばんは!

ちょっぴり肩が心配な明大野球部のアイドル、鈴木将好君からバトンを貰いました。
良く寝るでお馴染みの染谷駿斗です。

現在、午前1時頃。
同部屋のぞの(3年・中薗遼太郎)は、もうすでにベッドで寝ています。羨ましい限りです。
大学のレポートと同様に、期日のギリギリに書き始める癖は4年間経っても変わりませんが、一生懸命書くので、野球部だけに限らず、自分に関わってくれた多くの方々に読んでもらえたら幸いです!


ついこの前に入寮したと思ったら、もう引退なのが信じられません。それくらい、この4年間は、あっという間で一瞬でした。朝4時台に起きて、練習する日々に終止符が打たれるのは、大変嬉しいですが、ちょっぴり寂しくもあります。

振り返ってみると、自分の4年間は大学1年生の時の新人練習会から始まりました。
ノックを一緒に受けた同期には、ショートにプロ野球選手のむね(4年・宗山塁)、サードに超名門大阪桐蔭の加藤(4年・加藤巧也)、セカンドに夏の甲子園優勝のいけりん(4年・池田凜)、キャッチャーに高2でU-18日本代表選出のはるき(4年・横山陽樹)…。皆テレビで見たことある選手、ネットやYouTubeで見たことある選手ばかりが揃っていて、誰が見ても正真正銘の化け物でした。あと、プロ注のさとりん(4年・佐藤凜)もいました。当たり前ですが、彼らには4年間経った今でも全く敵いません。

その中でも、同じポジションのいけりんは、キャリア、実績、野球センス、どれを取っても超一流で、無名校出身の自分からしたら、当時憧れの存在でした。それは今でも変わっていません。最近は、よく一緒にノックを受けています。めちゃくちゃ上手いです。最後にユニホームを汚すこともありません。自分の中では、午前0時46分によく会う人常連さんは、間違いなく彼です。第二グラウンドの裏にも行ったりしたね。この先の野球人生、応援してます!頑張れ!


写真:左から染谷、池田



そんな感じで、新人練習会が無事終了したのはいいものの、入寮してからの1年間は「あ、入部しなきゃよかった。」の連続でした。自分たちの代は、人数が多く、個性豊かな代わりに問題が多発しました。はらしょーのため口事件、高田の自転車パソコン、たもんの前代未聞Airpods、ガッツの○○○○○…と一生問題続きの生活。下級集合中に笑って、出される奴もいました。でも、そのおかげでサッカーもできたし、今では少し笑える良い思い出です。


野球においては、1年生の時はオープン戦も含め、試合に出場することはできず、2年生のフレッシュでは神宮球場で三振。オータムリーグのメンバーからも外れ、気付いたら就活をしていました。正直、野球においては、入部してよかったと思えたことは、何一つありません。親には弱音を吐けない性格なので、辛いことがある度に、中学時代の友達に連絡をしては、たくさん励まされました。自分は全く試合に出ていないのに、わざわざ神宮球場まで足を運んでくれた人たちも本当にありがとう。「頑張ってね!」の一言にすごく救われました。これからもこんな不甲斐ない自分をよろしくお願いします。ついでに、三振した時の写真を思い出に載せておきます。




自分は、『努力』という言葉が大嫌いです。その上、することも大嫌いです。その癖して、人一倍プライドは高く、失敗するとめちゃめちゃ悔しがります。周りの人からは、野球に対して、「特に何も感じない人なんだろうな」という印象を持たれがちですが、野球は大好きだし、負けず嫌いなのも確かです。そんな自分が、少しでも『努力』することに触れられたことは、何よりもこの4年間で成長した部分だと思います。このチームは、夜遅くにも関わらず、常に室内練習場、トレーニングルームの電気がついていて、どんな時間でも当たり前のように、誰かしらが必ず練習しています。レベルの高い環境で『努力』することの大切さを教えてくれたみんな、本当にありがとう。


野球では、全く結果を残すことができなかった自分ですが、それ以外の部分では本当に楽しい4年間を過ごさせて頂きました。ここからは、お世話になった人たちに少しずつ感謝を綴りたいと思います。

まずは、同部屋のぞの(中薗遼太郎)。
たくさんお世話になったし、たくさんお世話しました。同部屋になってから1年近く一緒にいて、毎日楽しく過ごせたのは、間違いなくぞののおかげです。同じロッテファンっていうのもあって、テレビでロッテ戦を観て盛り上がったり、昔の選手言い合ったり、時にはYouTubeで応援歌を流して口ずさんだり…。たくさんの思い出をありがとう。アナライザーがこんなに大変なのを同部屋になってから知りました。今の明治が強いのも、ぞののおかげです。あと残り1年頑張ってね!あと、部屋に遊びに来るしょーご(3年・吉田匠吾)と衛藤(3年・衛藤晃太)、ぞののことをこれからも頼みます。


写真:左から染谷、中薗



さとりん(佐藤凜)
中学時代のシニアで3年、大学で4年、計7年間もの付き合いです。シニアでは二遊間を組んでいました。今も室内練習場で二遊間を組んでいます。周りのみんなが野球を辞めていく中、さとりんが明治で野球を続けると聞いて、自分も入部しようと覚悟ができました。大学で、ここまで辞めずに続けられたのも、きっとさとりんの存在があったからだと思います。本当にありがとう。引退まであと少し、頑張ろう!

写真:左から染谷、佐藤


写真:左から染谷、佐藤



よーたろー(4年・山内陽太郎)
ご飯食べるの遅い日本代表です。そのおかげで、食べ終わっているのにたくさん待ちました。夜にウエイトした後、一緒にプロテイン飲んで、補食も取ったけど、お互い全く体重が増えなかったね。2人で映画見に行ったり、池袋で色々あったのは良い思い出です。今後のよーたろーの活躍期待しています!

写真:左から染谷、山内陽




【体育会情ゴミ学部】
その名の通り、情報コミュニケーション学部のメンバーです。こんな自分を卒業まで導いてくれました。感謝してもしきれません。

けいたろう(4年・甲斐敬太郎)
一時期同部屋で「俺ピッチャー転向する。」と言い出した時は、何言ってんの?って思ったけど、今しっかりピッチャーとして、全うしている姿は本当にかっこいいです。夜に2人でカラオケ行ったり、温泉に行ったりもしたね。半目で口を開けて寝ているのが印象的でした。「きゃのんちゃん」呼びは気持ち悪いので、やめて下さい。


はるき(横山陽樹)
自分に対して、「お前さー」が口癖です。二人で飲みに行ったり、思い出はたくさんあるけど、その度に「お前さー」と言われました。本当に色々ごめんなさい。思い返せば、情コミで人見知りの自分に初めて声をかけてくれたのが、はるきです。たまに目つきが怖いけど、誰でも分かるすごくいい奴です。ラストシーズンも頼みます!明治の4番!


がっつ
あなたに関しては、語っても語り尽くせません。それくらい色々あります。暇なときは、とりあえずガッツの部屋に行ってました。オフ前に限らず、よく二人で出かけたし、過ごす時間も一番長かったね。最近は一番大学生してて、楽しそうで安心しました。たくさん連絡くれて嬉しいです。また飲み誘ってね!


こう(4年・福嶋耕)
お互い認められない部分が数多く存在すると思います。自分とは真反対の人間です。ただ、物事に対する執着心、ストイックさは人一倍で、野球に対する姿勢はずっと尊敬していました。社会人になって、歳を重ねた時に「あの時こうだったね。」と笑い合えたらいいね。学生コーチとして、チームを引っ張ってくれてありがとう。(←多分面と向かっては言えないので、同期のみんな伝えてくれると嬉しいです。



周りの人から、情コミは楽だと言われがちですが、卒業するのは容易なことではないです。
情コミの後輩たち、授業にはちゃんと行きましょう。


【旧108号室ク○カ○ファミリー】
がっつ、はらしょー(4年・原將一郎)、自分の3人で結成されたファミリーです。カ○四大要素を3人がそれぞれ持ち合わせています。本人達もそれは自覚済みです。


はらしょー
彼は、生粋の勝負師でありながら、もう少しでカ○四大要素のコンプリートに迫っています。現在見事にリーチです。最近は、公私ともに順風満帆で幸せそうで何より。学生コーチの鑑として、みんなをまとめてくれてありがとう!

彼らとは、108号室に集まって、夜な夜な色々語り合いました。3人で飲みにも行ったし、旅行にも行ったね。最近は、諸事情で活動があまりできていませんが、引退したらたくさん遊びに行こう!これからもよろしく!

振り返れば、色々な人たちに囲まれて過ごせた幸せな4年間でした。同期のみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんの思い出をありがとう。





また、田中監督をはじめ、首脳陣の方々。

4年間本当にありがとうございました。特に、戸塚助監督と文雄さんには一番お世話になったと思います。戸塚助監督には、自主練習も含め、たくさんノックを打ってもらいました。また、たくさんバッティングピッチャーもしてもらいました。就活期間中も「調子はどうだ?」「いい感じか?」等とすれ違う度に声をかけて下さり、ありがとうございます。また文雄さんには、練習中は勿論、時間を問わず、目が合う度に「すかしー!」と揶揄われたと思います。こんな自分をたくさん可愛がって下さり、本当にありがとうございました。
この4年間で培った人間力を糧に、この先のステージでも精進していきます。


そして、ここまで育ててくれた両親。

父さん
一番尊敬している人です。ここまで何一つ不自由なく、野球をやらせてくれてありがとう。大人になるにつれて、その偉大さに何回も気づかされました。父さんの教えもあり、ここまで野球を続けることができました。誰よりも応援してくれる父さんには、一番ユニホーム姿を見せたかったです。だから、2年生の時のフレッシュ、隠れて神宮球場まで見に来てくれた時は本当に嬉しかった。結果は三振だったけど、野球をしている姿を見せられただけでも、少しは恩返しできたのかなって思います。これからは、父さんみたいにどんな時でも優しくて、寛大な男に成長できるように頑張ります。


母さん
一番迷惑をかけたかもしれません。反抗期の時は、夜も帰らず丸一日家出をしたり、たくさん言い合いもしました。時には母さんを悲しませて、泣かせたこともありました。けど、今となっては、あの時に母さんが言いたかったことが理解できます。どんな時でも見方でいてくれて、寄り添ってくれてありがとう。お弁当いつも美味しかったよ。大好きです。(泣きそうなので、この辺にしときます。)


最後に、
自分の野球人生はここで幕を閉じますが、14年間の野球人生に後悔はありません。
今まで多くの方々に支えられ、ここまで野球を続けることができました。本当にありがとうございました。こんな自分ですが、この先も皆さんどうか温かい目で見守ってください。

ここまで、長々とお付き合い頂きありがとうございました。


ようやくブログを書き終えたと思ったら、もう午前4時です。
こんな時間に彼を紹介するのは少し気が引けますが…。行きましょう!


次は、明治大学体育会硬式野球部 永久奉仕終身名誉会長の高田直人君です!
文学部で培った文章力に乞うご期待ください。

自分は入会しないように寝ます!それでは、おやすみなさい…。

俺たちのラストシーズン──鈴木将好(明大明治)

こんばんは。
明大野球部のアーチスト、フィジークの大会に出られそうな肉体を持つ杉崎成くんからバトンをいただきました。太ももが太すぎて困っています、明治高校出身、内野手の鈴木将好です。


もうラストシーズンのブログを書かなければいけないということで必死に4年間を振り返ってみると、嬉しかったことや辛かったこと、面白かったことなどがたくさんあり、本当に貴重な4年間だったなと実感しています。そんな4年間での自分や仲間について今回は書いていきます。


今週末からリーグ戦が始まるということで自分のブログには興味がないとは思いますが、温かい目で見て頂けると幸いです。それでは、ひとつよしなに。



〇4年間の振り返り

あっという間の4年間だったのですが、入部した当初は野球の準備や片付け、寮の仕事が多くて大変でした。特にノックボール係は本当にきつくて、少しでも汚かったり並んでいなかったりすると細かく指摘されていました。そんなノックボール係において、野球教室ノックボール忘れ事件は忘れられません。タクシーでぎりぎり届けられたので事なきを得たのですが、もちろん外禁でした。

野球面においては怪我(脱臼)の連続でした。守備で飛び込んだ際に1回目の脱臼(2022年3月)をした後、ノックで3塁に投げて脱臼(2022年6月)、ボール回しで脱臼(2022年8月)と、半年間で3回も肩が抜けました。毎回織原さんにはめてもらいました。本当にありがとうございました。ただ、1回目と2回目の間に奇跡的に肩が抜けない期間があり、新人戦に代打で出場することができたのは良かったです。
 



結局、大学2年生の9月に手術を行いました。6か月ものリハビリ期間があり、野球が出来ない日々が続きましたが、その間にオータムリーグの企画をやってみたり、その続きでサマーリーグの企画をやってみたりしました。いい経験になったので、やって良かったです。リハビリが終わってからはB戦にも連れて行ってもらったのですが、全く打てませんでした。肩の調子もあまり良くなく、サード送球の際はサードにカバーしてもらってばかりでした。サードの皆さん本当にありがとうございました。
現在はウエイトトレーニングに精を出していて、その副作用か肩の調子も良くなってきました。肩が痛い人は懸垂をやると良くなると思います。ぜひ試してみてください。


4年間を振り返ると、「怪我」という言葉が一番強く浮かびます。しかし、そんな怪我があったから経験できたこともあったし、心も強くなったと思います。そして、少し多い同期約40人と寮生活や練習を共にした日々は刺激が多く楽しかったです。一緒にいられるのもあと数か月になったけど、みんなで楽しみましょう。




ということで、次はみんなへの感謝や思い出を述べていきたいと思います。

〇show学部

野球部の同期で一番初めに出会ったのは商学部の4人でした。入学式の時、まだ入寮していない自分を4人が温かく迎え入れてくれたことは今でも覚えています。それからは授業やテスト、昼飯を共にすることが多く、楽しかったです。


写真:左から宗山塁(4年)、加藤巧也(4年)、直井宏路(4年)、浅利太門(4年)、鈴木


たもん(浅利太門)は自分を除いて一番勉強ができます。そのおかげであまり教えた記憶がありません。多分頭の回転が速いんだと思います。散々いじられてきた中でそれを感じます。そんないじられてばかりだったけど、そのやりとり一つ一つが楽しかったです。

加藤(加藤巧也)は「話にならん」や「馬鹿か」といった加藤語録をよく流行らせています。「やるっしょ」の言葉を合図に毎日人を集めていて、自分も「やるっしょ」と言ってしまいます。堅士朗(4年・山下堅士朗)とのやりとりが面白いので、今後もよろしくお願いします。

こーじ(直井宏路)は一番自分を頼ってきました。何か課題があると毎回自分に確認や添削をお願いしてきたね。でもそのおかげで多くの単位が取れているので安心しています。最近は他大学の選手に自分の真似をさせたみたいだけど、恥ずかしいのでやめてください。

むね(宗山塁)はとてもストイックだなって感じます。特に食事面では揚げ物禁止、ラーメン禁止をずっと貫いていましたね。そのおかげで商学部での昼飯がずっと某ファミリーレストランになりました。店員さんと顔見知りになったのはいい思い出です。

自分の目標は商学部全員を卒業に導くことだと勝手に自負しています。5人全員で卒業できるように秋も頑張ろう。


〇普段一緒だった同期や後輩
 
まずは堅士朗(山下堅士朗)。堅士朗とは普段から一緒にいましたね。同じジャイアンツファンということもあって、東京ドームと神宮球場へ巨人戦を観に行ったことはいい思い出です。あとは毎日ゲームをやったことやチャーハンに行ったことも楽しかったです。私生活では何言っているのか分からないこともあったけど、本当に優しくて男前だと思います。これからも暇なときに巨人戦観に行こうね。ありがとう「運だけ野郎」。

写真:山下


大夢(4年・森田大夢)。大夢は最近トレーニングルームでよく会いますね。ピッチャーとは思えない程体が仕上がってきていて驚いています。大夢とは下級生の時から一緒に昼飯を食べたり、上級生になってからは「やるっしょ」したりしましたね。とても倹約家でカップラーメンしか食べない生活を一時期やっていたけど、最近は常にプロテインを飲んで体に気を遣っているところをよく目にするので感嘆しています。これからもトレーニングもその他の事もつまんなくなんないように頑張ろうね。


よこ(4年・横山陽樹)。よことは冬場に一緒にロングティーを行ったことが印象的です。そこでの横のパワーには驚かされました。そのパワーと同じぐらい、「運」に驚かされています。正直個人的には堅士朗以上だと思います。そんなパワーと運を存分に活かし、豪快な「一発」を今後も期待してるね。


まつ(4年・松島元希)。最近は勉強で忙しそうだけど、休憩時間に荒野行動しましたね。やっぱり時間を空けると下手になっているようで、自分より実力が落ちているのではないかと感じています。まつは本当に優しくて、話していると自然に笑顔になるような安心感があって、楽しかったです。勉強の方が落ち着いたら、また「やるっしょ」しようね。


やましょー(4年・山田翔太)。見た目はすごく怖いけど、関わるとすごく優しくて楽しかったです。「やるっしょ」においては、始めの方はボコボコにされました。初心者に対して容赦ないなとは思っていたけど、それがあったから今があります。なので「師匠」と呼ばせてください。お願いします。


久野(3年・久野悠斗)。商学部の後輩としても、「弟子」としても仲良くしてくれてありがとう。こないだまでシャンクスだったけど、今は違うのでリーグ戦でガンガン真っ直ぐで「押して」いくの期待しています。残り数ヶ月だけどよろしく!


あとは𠮷持(4年・𠮷持稀紘)。𠮷持とは1年生の頃から一緒に自主練習をしましたね。自分と吉持と原(4年・原將一郎)の三人だけで午後練に出たことはいい思い出です。階段打法とか言ってバカにしていたけど、それでオープン戦打ちまくっていたのですごいなと思います。オフには温泉に行ったり、買い物に行ったりしました。とても楽しかったです。誕生日プレゼントを毎年くれているのにあげられていなくてすまん。今年まとめてあげるので、ほしいものを教えてください。4年間ありがとう。


写真:左から鈴木、𠮷持



〇明治高校の先輩や同期、後輩


まずは石田さん(R6卒・石田朗)や中谷さん(R6卒・中谷優斗)、植村さん(R6卒・植村太亮)にはお世話になりました。特に石田さんと中谷さんは高校の時の投手部屋から一緒で、本当にありがとうございました。

石田さんは入寮するときに寮のルールや決まりを丁寧に教えて頂きました。入寮してすぐに原が問題を起こした際、石田さんの部屋に集合して話し合ったことが懐かしいです。

中谷さんは高校の時によくバッテリーを組んでいました。調子が悪い時でもよく声を掛けてくれたので投げやすかったです。大学でもよく遊びに誘ってくれたので楽しかったです。機会があったらご飯でも行きたいです。


次に同期の原(原將一郎)と樂(4年・川越樂)。高校と大学合わせて7年間の付き合いになりました。本当にありがとう。

原は高校の時に「大学で野球を続ける」と言っていて、正直不安でした。案の定入寮してから問題をいくつも起こしましたね。だけど、持ち前の明るさと懐に入る性格で乗り切ったのですごいと思います。その性格でいっぱい楽しませてもらいました。7年間ありがとう。

樂は高校の時にピッチャーを一緒にやっていたけど、コントロールがお互い悪かったね。今は学生コーチとしてチームをサポートしていて大変だろうけど、あと少し頑張ろう。あと、樂の実家のリンゴジュースが好きなので、また欲しいです。7年間ありがとう。


最後に後輩の宮崎(3年・宮崎雄太)、田中(2年・田中陽貴)、和田(1年・和田壮生)。各学年一人ずつしかいないけど、誰かがリーグ戦に出場して活躍してくれることを願っています。周りのレベルは非常に高いけど、何か武器があれば可能性はあると思います。人一倍練習して頑張れ!

 



〇最後に家族へ


両親へ。小学1年生から現在まで、約16年間野球を続けることができたのは、両親の支えがあったからこそだと思っています。本当にありがとうございました。


お父さんへ。野球の全てはお父さんから教わりました。小学生の時は少年野球チームの監督として指導を行ったり、マンションの前で素振りを見てくれたりしてくれたことが印象に残っています。また、中学や高校で怪我に悩まされた時、マッサージをしてくれたり、怪我によって最適な治療院を探してくれたりして本当にありがとうございました。怪我で気持ちがナーバスになることが多かったのですが、その度に励ましてくれるお父さんの言葉はいつも支えになっていました。連絡をしてくれているのにも関わらず全然返信しないことが多かったけど、とても感謝しています。ありがとうございました。 


お母さんへ。高校まで毎日ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたりしてありがとうございました。働きながら毎日家事を行うことはとても大変だったとは思いますが、特に文句も言わずに行っていたので、とても尊敬しています。また、野球についてあまり詳しくないながらも、たまにバッティングについてアドバイスをくれていました。役に立ったかどうかはさておき、野球について考えてくれていたことはとても嬉しかったです。今はたくさんやりたいことがあると思うので、健康に気を付けながら楽しんでください。ありがとうございました。


大学2年生で度重なる右肩の脱臼を負ったとき、何度も励ましてくれて本当にありがとうございました。手術まで受けさせてくれたこともあり、現在もボールを投げることができており、野球をプレーすることができています。野球を好きでいられるのもお父さんやお母さんのおかげです。本当に感謝しても感謝しきれません。この恩はこれから少しずつ返していきます。これからもよろしくお願いします。



〇最後に


最後になりますが、今まで関わってくださった方々本当にありがとうございました。色々な方々に支えられて今の自分があると思いますし、成長することができました。今後は自分も多くの人を支えられるよう精進していきたいと思います。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。


次は華麗な守備で周囲をざわつかせる染谷駿斗君です!お楽しみに!

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