つづきです。 前回は  →中国語との出会い1/2 

 

02年、仕事を探しにきた。
中国語はあまりわからない。
という上海の暮らしが始まります。
住居は上海に到着した日に
大学が準備してくれたホテルで偶然に同室になった
日本人、韓国人と3名でルームシェアをすることになりました。
                     

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いよいよ授業が始まりましたが
日本ではNHKラジオ講座を聞いていたものの
ほぼ知識がないままの状態で、全てが中国語の授業。
 

先生はゆっくりと穏やかに話す女性でしたが
教科書を目で追うことはできても
説明がほとんど分からない。
漢字の発音が日本語と違う。
発音記号を一つ一つ調べることに時間を費やしていました。

ただ、私にとって中国語はイタリア語と比べると易しくて
文法はシンプルだし、漢字が理解できることは精神的にとても楽で
わからなければ、筆談すればいい。

なんとか会話ができればいい。
そういう気持ちでいました。
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4か月が過ぎた頃、知人の紹介で仕事が決まります。
会社は台湾資本のニット工場。
デザイナー兼営業補助として入社しました。
社内には日本人1名、日本語が堪能な台湾女性いたので
自分が中国語が理解できない以外に不便はなく、恵まれていたと思います。

工場には中国人の工員が150名ほどいました。
地方から出てきた素朴な女の子たちに
私は手帳を片手に話しかけました。

あなたの名前は?どんな漢字?なんて読むの?
今なんて言ったの、ここに書いてくれない?


女の子たちは、日本人の女性が珍しいせいか

飽きずに付き合ってくれました。


聞いた単語は発音記号を調べて
翌日にそれも使って話しかけます。
毎日毎日そうしているうちに
日常的な会話ができるようになってきました。
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少し理解できると、次はテレビドラマに夢中になりました。
ドラマでも分からない単語をひたすら調べて
会社で聞いたりしながら語彙を増やしました。
                           


働き始めの頃は午前は授業、午後は出勤としていましたが
授業は休みがちになり、半年をもって終了。

結果、”文法を十分に学ばなかった。”と長く思い続けることになりましたが

 

沢山の中国人と「聞く、分からない、書く、話す」を繰り返す中で

だんだんと南方の方言、地方出身者の癖に慣れ、”耳”ができてきました。

 

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こうして最初の台湾工場を半年間勤めた後、

上海人の個人事務所、香港系のニット工場など

職場を変えながら4年間、上海に暮らすことになりました。

ルームメイトは、マカオ人(台湾企業での同僚)、インドネシア人(華僑)と変わり

プライベートでも中国語を使う環境に身を置くことになりました。

 


私の中国語との出会いをふりかえると

「聞くこと、怖がらすに話しかける」ことに始まり

それが当時の学習方法の原点になっていたのだと思います。

 

 

中国語との出会い。懐かしい・・・ またいろいろ思い出しました☆

 

 

大学の漢語課の教科書(左)と参考書(右)

この参考書を初めて読んだとき、自分の間違いが見事に指摘されていて衝撃を受けた。

 

 

【試し読み有】 

初級から中級にかけて間違いやすい100例文の解説。

自分の間違いから理解が進みます。

 

 

さらなる文法強化に。かゆいところに手が届くシリーズです。