今回は中国語との出会いをざっと振り返ってみようと思います照れ

97年に初めて中国に出張で訪れてから数カ月後、
私は会社を退職、キャリアアップを目指しイタリアに留学します。
半年のイタリア語学留学、1年のテキスタイルの専門校を修了した後
日本に戻ってきて、前職の上司に挨拶に行くと
繊維製品の工場は今どんどん中国へシフトしている状況だよと。

元上司:悪いんだけど、今席は空いていないんだ。(そんなつもりではなかったですが)
「いっそ中国に行ったら?」と言われて

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ひらめき電球そうだな、仕事を探しに行ってみるかひらめき電球 と考え始めました。


でも中国に滞在するのにはビザが必要らしい。

今の自分にとれる一番長いのは留学ビザ、
じゃあ語学留学をしようかな・・・
言葉が話せないと、仕事みつけられないし

仕事は学校行きながらさがせばいいか。という自然な流れで?
ビザと中国語学習のために大学の漢語課程(6か月)を選びました。

留学を決めたものの
2度目の渡航には家族が猛反対。
周囲に理解されないまま
残った貯金とアルバイトで130万ほど準備すると
2002年、上海へ向かいました。


上海を選んだ理由は
出張には行ったことがあったので
実は事前に旅行に行ってみたのですが
その時、偶然にも

既に技術指導者として

出向で長く住んでいた前職での先輩に出会い
どうして、上海に(働きに)来ないの?と声をかけられた。
そんな”ご縁”があったからでした。


中国語にたどりつけない・・・次につづきます

 

2002年、当時の新型バス(イメージ写真です---私は“ハチの触覚”バスと呼んでいた)

〝うさ耳バス”と呼ぶ人もいたかもしれません。

 

写真の参照元☟ 偶然にも同じ頃に行かれた方の写真集、懐かしいのでリンク。