認知症って | 明範荘 川名山荘 今伊勢ブログ 日々徒然のこと

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愛知県愛西市・名古屋市昭和区、愛知県一宮市の老人福祉施設。

「認知症の方」を皆様はどのように感じていますか?

 

私は「認知症」という言葉を、あまり過敏にとらえないようにしています。

 

理由は、認知症の方々も私たちと何も変わりなく、私たちと同じように生きている「人」であって、そうでない方と同じように、自然に接すれば良いと思っているからです。

 

 

あなたは普段、「人」と関わる時にどのように関わりますか?

 

家族、恋人、友人、お客様・・・ 

その状況によって対象とする「人」は違うと思いますが、その「人」が喜ぶために、楽しめるために、満足させるために、「その人の思い」や「その人の好み」等の内面を自然と探りながら関わっていませんか?

 

人は対象である「人」と関わる時、特に相手に何かを働きかけるような場面では、その人の「内面」つまりは、「想い」や「性格」、さらには「どのような人生を、どのような思いで歩んできたのか」を自然と探り、相手にとって適切なものを提供したり、言葉をかけたりします。

「人」との関わりとはそういうものではないでしょうか?

 

それは認知症の方であっても同じです。

 

しかし、残念ながら介護の負担などが増大すると、介護の大変さだけが際立ってしまって、認知症の方々を「自分達とは似て非なるもの」と見てしまうことがあります。

 

もちろん、介護の大変さを否定するつもりはありません。

重要なのは、認知症の方々も私たちと同じであることをおざなりにしてはいけないということです。

 

家庭でいつ終わるかわからない介護の日々に立ち向かい、心身ともに疲れている方、施設で日々介護業務に追われている方、そのような大変な時こそ、立ち止まり、深呼吸をして、認知症の方も「同じであること」を再認識し、「この人はなぜこんなことをするのだろう」と相手の内面を見る努力をしてみてください。

 

今まで見えなかった「認知症の方々」のことが分かってくるはずです。

 

 

 

認知症重度の方であっても、認知症の方々も当然喜怒哀楽の感情は持っています。

認知症の方は、周りの方々を困らせるために、むやみやたらに行動や言動を起こすわけではありません。その方なりの「想い」や「考え」があって起こすのです。

 

ただ、認知症という病気があるがゆえ、それがうまくできないだけなんです。

 

あまりこの表現が好きではありませんが、介護の業界では「不穏になる」という表現がよく使われますが、私は「人」が意味もなく、「不穏になる」ことはないと思っています。

 

「トイレに行きたいから」「お腹がすいたから」「さみしいから」、その理由は様々ですが、認知症の方であっても、その人その人の理由が必ずあります。

その理由を、うまく言語表現できない「認知症の方々」に代わって周囲の人々が汲み取って、うまくサポートすることできれば、その行動はもう不穏ではなくなります。

 

 

 

初めにもお伝えしましたが、認知症ケアにおいて、私が一番大切にしているのは、自分が普段行っているように、どのような方とも相対することです。この文章を読んで、少しでも共感してくださる方がいれば幸いです。

 

 

私は、縁あって平成16年ころより名古屋市老施協という団体を通じて、認知症介護実践者研修の運営に携わらせていただいています。そこでは、今日私がお示ししたような認知症の方々との関わり方等について、多くの介護従事者の方が時間をかけて勉強されています。

名古屋市老施協以外にも、各自治体社協等でこの研修は運営されていますので、ご興味のある方は、事業所に頼んで、ぜひ参加みてください。