アドラー心理学に基づいた本『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
』には、こうあります。
さて昨日の続きです。
アドラー心理学の考えからすると、自ら社会との接触を断っておきながら、自分の無価値感を嘆くのは滑稽です。
リンゴを食べたいのに自らリンゴをテーブルに戻して、何故自分はリンゴを食べられないのだろう?と悩むのと同じです。
手に取ったリンゴをテーブルに戻せばリンゴを食べることができないのは当たり前です。
自分を社会から切り離してしまえば、社会貢献ができなくて、自分に価値が見いだせなくて当然と言うことです。
つまり社会から隔絶して生活している人が自分の価値について悩むのはおかしいのです。
アドラー心理学の考えからすれば、人の価値は、他者貢献から生まれるからです。
社会から隔絶して他者に貢献しないと自分で決めるのは、自らの価値を自分自身で捨てることです。
だから自分に存在価値を見いだせなくて当たり前です。自分で捨てたんだから。
手に取ったリンゴを自らがテーブルに戻したのですから、リンゴを食べることができなくて当たり前です。
それでもリンゴが食べたいのなら、あとは、誰かが自分の口元にリンゴを差し出してくれるのを待つだけです。
なのでアドラー心理学をもとに考えてみると……
「自分はなんて無価値な存在なんだろう?」
その答えは、「あなたは社会貢献をしていないからですよ」となります。
他人のために何か役立つことをすれば、あなたは価値ある存在になります。
……と当たり前の結論に落ち着きます。
一方、あなたは存在しているだけで価値があるというのも同時に正しいのです。
実際にそうなのですから。
人は存在しているただそれだけで価値があります。
それも真実です。
より高いレベルで見たとき、「これか、あれ」ではなく、常に「これと、あれ」なのです。つまり、別の視点から見ると、どちらも真実なのです。 by バシャール
以上、岸見 一郎 さん (著), 古賀 史健 さん (著)『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
』を参考にさせていただきました。

①にある「自立すること」と「わたしには能力がある、という意識」は、自己受容に関する話ですね。一方、②にある「社会と調和して暮らせること」と「人々はわたしの仲間である、という意識」は、他者信頼につながり、他者貢献につながっていく。
さて昨日の続きです。
アドラー心理学の考えからすると、自ら社会との接触を断っておきながら、自分の無価値感を嘆くのは滑稽です。
リンゴを食べたいのに自らリンゴをテーブルに戻して、何故自分はリンゴを食べられないのだろう?と悩むのと同じです。
手に取ったリンゴをテーブルに戻せばリンゴを食べることができないのは当たり前です。
自分を社会から切り離してしまえば、社会貢献ができなくて、自分に価値が見いだせなくて当然と言うことです。
つまり社会から隔絶して生活している人が自分の価値について悩むのはおかしいのです。
アドラー心理学の考えからすれば、人の価値は、他者貢献から生まれるからです。
社会から隔絶して他者に貢献しないと自分で決めるのは、自らの価値を自分自身で捨てることです。
だから自分に存在価値を見いだせなくて当たり前です。自分で捨てたんだから。
手に取ったリンゴを自らがテーブルに戻したのですから、リンゴを食べることができなくて当たり前です。
それでもリンゴが食べたいのなら、あとは、誰かが自分の口元にリンゴを差し出してくれるのを待つだけです。
なのでアドラー心理学をもとに考えてみると……
「自分はなんて無価値な存在なんだろう?」
その答えは、「あなたは社会貢献をしていないからですよ」となります。
他人のために何か役立つことをすれば、あなたは価値ある存在になります。
……と当たり前の結論に落ち着きます。
一方、あなたは存在しているだけで価値があるというのも同時に正しいのです。
実際にそうなのですから。
人は存在しているただそれだけで価値があります。
それも真実です。
より高いレベルで見たとき、「これか、あれ」ではなく、常に「これと、あれ」なのです。つまり、別の視点から見ると、どちらも真実なのです。 by バシャール
以上、岸見 一郎 さん (著), 古賀 史健 さん (著)『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
