アドラー心理学に基づいた本『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』には、こうあります。

「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは『ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない』『罰する人がいなければ、不適切な行動もとる』という、誤ったライフスタイルです。」

誤ったライフスタイルではあるが、それが大抵の人間の真実ですよね。

罰する人がいなくても、適切な行動がとれるなら、警察は要りません。

しかし、これとそれは別の話なのでしょう。

教育の話です。

賞罰教育の話です。

アドラーによると、適切な行動をとったらほめてもらえるし、不適切な行動をとったら罰せられるという賞罰教育の影響で、人は他者の承認を求めたがるのだと言います。

そしてそのような承認は、次のような危うさを持つと言います。

ほめてくれる人がいないなら、適切な行動はしない。
罰する人がいないのなら、不適切な行動もとる。

例えば、ほめてもらいたいからゴミを拾うが、誰もほめてくれなければ憤慨するかもう二度とゴミなど拾わない。

これは先に挙げた、フェイスブックやツイッター、YouTubeにも言えますよね。

なんのいいね!もなく、まったくリツイートもなく、誰も見ない動画だったら……
続ける意欲を失います。(^-^;

承認欲求が満たされないのであれば、その行為を止めようとします。

これはわたし的に言えば動機が不純だと表現します。

成功したいからすべてにありがとうと感謝する。
成功したいから他人を祝福し応援する。
愛されたいから愛する。

これらは動機が不純でありかつ順番が逆です。

すべてにありがとうと感謝できるような人だから成功したのです。
他人のことを自分のことのように祝福し応援する人だから成功したのです。
条件を付けずにただ愛するから愛されるのです。

それらがその人の自然な在り様だったのです。

以上、岸見 一郎 さん (著), 古賀 史健 さん (著)『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を参考にさせていただきました。