アドラー心理学に基づいた本『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』には、こうあります。

「人は誰しも、優越性の追求という『向上したいと思う状況』にいる。なんらかの理想や目標を掲げ、そこに向かって前進している。しかし理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。」

生死にかかわる状況で劣っていれば、ただ死んでいくだけだが、人間は生死にかかわらない場合においても、優れたいと思っている。

「優越性の追求」というものが自分が生きていくために必要なものだった時代は過去のものになり、現在は生まれてしまえばとりあえずは、死なないで生きて行ける環境になっている。

自己破産の制度や生活保護制度、医療の充実や国の福祉などなどにより、基本的には国が生まれた人間が生存することを保証している。
だとすれば生物としては「優越性の追求」を行なわなくてもよい気がするが、そうではないようだ。

生死にかかわらないのであれば、じゃあなんのために人間は「優越性の追求」をするのか?

そしてその幻想にも似た「優越性の追求」の過程において、理想や目標などという物理的には存在しないもののために、一喜一憂することになる。

もうすでに生きていて、これからも生存を脅かされることもないのに、理想や目標を掲げ、そこに向かって前進し、もし理想に到達できていなければ、時に劣等感に苦しむ。

生存のための「優越性の追求」が、いつしか、幸福のための「優越性の追求」になってしまった。

しかし、幸福というのは物理的には存在していない。
幸福という状態があるのみだ。

昔は生きるために優越性を追求していたが、今は幸福になるために優越性を追求しているのかも知れません。

自分の中をコントロールすることによって、本当の幸せが訪れるのです。 : バシャール・スピリット

非常に簡単です。自分で幸せを選ぶとき、すべてのまわりで起きていることが、幸せな出来事になります。 : バシャール・スピリット

最高の幸せというのは、全体のために尽くす時、全体のためのサポートになっている時に感じるのです。なぜなら、その時には、同時に全体から自分も尽くされ、サポートされるからなのです。by バシャール

ということで、幸福というものは追い求めるものではなく、自分で創り出すもののようですね。

以上、岸見 一郎 さん (著), 古賀 史健 さん (著)『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を参考にさせていただきました。