アドラー心理学に基づいた本「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」には、こうあります。

「(引きこもりの)ご友人は『不安だから、外に出られない』のではありません。順番は逆で『外に出たくないから、不安という感情をつくり出している』と考えるのです。

ということで、普通引きこもりの場合は、外に出るのが不安だから引きこもりになる、とか、外に出るのは怖ろしいから外に出ない、というのが常識だと思いますが、アドラーはその順番を逆にします。

アドラーの提唱する「目的論」では引きこもりの例は次のように解釈されるそうです。

「外に出ない」という目的が先にあって、その目的達成のために不安や恐怖という感情を創りだすと。

普通は、過去が現在を決める、原因が結果を支配すると考えます。

この場合は、不安や恐怖という原因が引きこもりという結果を導くと考えるとのこと。

(過去に不安や恐怖という感情を抱いてしまったので、現在は外に出ることが出来ない?原因は常に結果より過去にあるはずなので、引きこもりという結果と同じ時間に不安や恐怖は感じることが出来ないはずだ。)

しかしそのような原因論の行き着く先は決定論であり、もしそれが正しいのであれば、未来は過去によって決まってしまい原因が同じであればみんなが引きこもりになるはずだとアドラーは言います。

……ということで、ここでいろいろと疑問が湧いてきました。

一つ目は、引きこもっているという結果において、原因である不安や恐怖という感情は常に過去に存在するはずだ。なぜなら原因があって結果が存在するからだ。

不安や怖れが引きこもりを誘発するのではなく、不安や怖れを回避するために引きこもっているのでは?

つまり不安や怖れの感情は引きこもりの「原因」ではなく「理由」である?
引きこもっている現在は、不安や怖れは抱いていないのだから……。

不安や怖れは引きこもりの原因ではないからこそ、不安や怖れがあっても引きこもりにならない人もいる。不安や怖れが原因であるのなら、全員が引きこもりになるはずだ。

つまり原因は動かしがたいものだが、理由は変えられる。

「外に出ない」という目的もそれだけでは存在することは出来なくて、「外に出ない」という思いを抱くためにはその理由が必要になる。

だから不安や怖れもその理由になりえる気がする。

不安や怖れが理由で外に出たくないのと、不安や怖れが原因となって外に出られなくなる、このふたつの考え方が存在する気がする。

そっか、理由の場合は自主的だけど、原因の場合は強制的ということか?

理由と原因は何が違うんだろう?

理由は意味づけであり現在から物事を見ており、原因は観念であり過去から当然導かれるであろう現在=結果を決定している?原因という考えは過去と未来に自分を置いている?(結果は常に動かしがたいもので、その意味で、結果=過去と言って良い?結果は現在とは言えない?)

引きこもりという行為について、現在に焦点を合わせた時、そこに「理由」が現在存在する。
例えば、別に全然外に出なくたって衣食住は満たされていて、逆に外に出る理由がない。

外に出る必要なんか全然ないから、あるいは外に出なくても充分やれているから、そういう理由で外には出たくない。(自主的)

この「外に出たくない」という自主的な目的を達成するために、過去のなんらかのトラウマを原因に持ち出したりして不安や恐怖という感情を創り出す。

結果、目論見通り、外に出ない自分が維持できる。

しかしもし、外に出たくないという目的の理由が不安や恐怖だったら?

堂々巡りですね。(^-^;

ちょっと私もわからなくなりました。

まあ、忘れてください。

まあ結局すべては考え方のひとつなのかも知れません。

最後にバシャールの言葉をご紹介します。

原因と結果は本当はひとつの出来事です。別なものではないんです。原因があれば、必ず結果があります。そして、もしみなさんが結果を得たいのなら、結果を創らなければなりません(原因を創るのではなく)。 by バシャール

原因と結果に時間的なズレはない?
頭で考えるとよくわかりませんね。


以上、岸見 一郎 さん (著), 古賀 史健 さん (著)「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」を参考にさせていただきました。