アルボムッレ・スマナサーラ さんの『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
』という本には
「私はこれほどの者だ」と思うのと同じく、「私には能力がない」と思うのもやはりエゴです。
とあります。
エゴを持って生きている人は、エゴとともに限りない苦しみを持って生きていると言います。
だから、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう!と。
「私は何者でもない」「大したものじゃないのだ」と思ってしまえばいいとまで言っています。
と言いつつも、「自分はダメな人間」というのもエゴだそうです。
「自分は偉い」もエゴ
「自分はダメな人間」もエゴ
じゃあどうしたらいいんだ!って感じですね。
答えは、何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話だそうです。
「私が」「私が」というのがエゴであり、「私が」を捨てれば問題はないと。
人は人、自分は自分というのにも近い気がしますが、これでは「私が」というエゴが入ってますね。
エゴを捨てれば自由になれる
そうこの本の著者は言います。
確かにそうだと思います。
エゴを捨てれば、怒ることもないでしょう。
さて、エゴについてバシャールはどんなことを言っているかと言いますと……
否定的なエゴというのは、自分自身で自分の人生をコントロールできない、自分にはそんな力がないんだと思った時に、顔を出してきます。 by バシャール
(否定的なエゴを減らすには)自分自身は無条件の愛に値するんだということを認め、本当の自分自身になるということ、自分が値するようなエクスタシーをどんどん体験することです。by バシャール
エゴは、いろいろなものを分けるように、引き離すように働き、自分の中でひとつにしようとしないで、外のものを一生懸命動かすことによってそれを証明しようとする。簡単に定義づけてしまうと、否定的なエゴ=パニック。 : バシャールの学校
「私はこれほどの者だ」と思うのと同じく、「私には能力がない」と思うのもやはりエゴです。
とあります。
エゴを持って生きている人は、エゴとともに限りない苦しみを持って生きていると言います。
だから、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう!と。
「私は何者でもない」「大したものじゃないのだ」と思ってしまえばいいとまで言っています。
と言いつつも、「自分はダメな人間」というのもエゴだそうです。
「自分は偉い」もエゴ
「自分はダメな人間」もエゴ
じゃあどうしたらいいんだ!って感じですね。
答えは、何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話だそうです。
「私が」「私が」というのがエゴであり、「私が」を捨てれば問題はないと。
人は人、自分は自分というのにも近い気がしますが、これでは「私が」というエゴが入ってますね。
エゴを捨てれば自由になれる
そうこの本の著者は言います。
確かにそうだと思います。
エゴを捨てれば、怒ることもないでしょう。
さて、エゴについてバシャールはどんなことを言っているかと言いますと……
否定的なエゴというのは、自分自身で自分の人生をコントロールできない、自分にはそんな力がないんだと思った時に、顔を出してきます。 by バシャール
(否定的なエゴを減らすには)自分自身は無条件の愛に値するんだということを認め、本当の自分自身になるということ、自分が値するようなエクスタシーをどんどん体験することです。by バシャール
エゴは、いろいろなものを分けるように、引き離すように働き、自分の中でひとつにしようとしないで、外のものを一生懸命動かすことによってそれを証明しようとする。簡単に定義づけてしまうと、否定的なエゴ=パニック。 : バシャールの学校