怒るのは誰のせいでもない、「怒るのは私のせい」

「私は正しい」と思うから怒る

そしてそれには、いろんな自分勝手な理由がある。

「相手が正しい」と思ったら、怒ることはない。

人間は建前では自分をダメだと謙遜するが、心の中では自分だけが唯一正しいのだと思っている存在である。

だから

「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない

「私は正しい」は間違い
「私が正しいはずはないのだ」が正解

「私は正しい、とは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが心に入ってしまうと、もうその人は二度と怒りませんとのこと。

言葉は不完全

優しくしても、嫌われて当たり前
努力はしても、結果は求めない

以上、アルボムッレ・スマナサーラ さんの『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)』という本から抜き出してみました。

さて……

バシャールをずっと学んできた私にとって仏教はまるで正反対のことを言っているようにさえ思える時があります。

でも、バシャールもこう言っています。

逆説に向かい合ったときは、本質に近づいているというしるしです。なぜならば、中心にいるときにのみ、それらの矛盾に見えるもの、相反して見えるものが、再び、ひとつのものとして調和できるからです。 : バシャールの学校

私は中心にいるのでしょうか?(^-^;

バシャールとこの本の言うこと、一見逆に思えますが、結果的には同じ怒らない自分になれる気がします。

考えてみるに、バシャールは「怒り」について語ることはほとんどないように思います。

おそらくこれは、ポジティブなことのみにフォーカスして、可能な限りネガティブなことにはフォーカスしないことの現われなんでしょうね。