これも、分かりにくい概念ですね。
どんな人も、ひとり残らず全員が宇宙全体に「違い」を創り出す?
ということは、逆に言えば、どんな人も一人残らず自分オリジナルの宇宙を持っている、そう解釈したくなります。
でも、そうなると、それは「違い」ではなくなり、ただ単に、そういう宇宙が存在するだけになってしまいます。
オリジナルがあって、その一部が変化することによって、オリジナルと違うとわかるのであって、オリジナルと無関係なものがそこにあっても、オリジナルと違ったものとは、認識しません。
でも、一個人が行うことが、新しい宇宙を創り出すというのなら、一個人に対してひとつのオリジナルな宇宙が必ず存在すると仮定しなければ、話しが成り立ちません。
誰かが行うことは新しい宇宙を創り出すが、他の誰かが行うことは新しい宇宙は創り出しません、とはならないはずです。
となると、この新しい宇宙は、個人のオリジナルの宇宙であると同時に、他の全員の新しい宇宙でもある、としないと、成り立たない気がするのです。
このことがつまり、すべてはひとつにつながっている、ということなんでしょうか。
どんな人も、ひとり残らず全員が宇宙全体に「違い」を創り出します。どんな人が行なうことも、すべてひとつ残らず新しい宇宙を創り出します。なぜなら、いかなる変化もすべての変化になるからです。 by バシャール
……ということで
分離しながらも、ひとつである、というのは、先程本家ウェブサイトで書いたことと関連してきます。
【重要】「大いなるすべて」についてのまとめ : バシャールの学校
上の記事の、この部分です。
「大いなるすべて」が「大いなるすべて」であるためには、それ自身の中に「大いなるすべて」であるということを「知らない部分」を持っていなければなりません。(同書P.226)
そうすることによってはじめて、「大いなるすべて」は、存在と非存在、全体と部分というようなパラドックスを含んだ概念全体になることができる。
え~ということで、現段階の私の結論は
人は個人としてバラバラであるというのは、単なる幻想であり、本当はひとつである
ということなんでしょう。
どんな人も、ひとり残らず全員が宇宙全体に「違い」を創り出す?
ということは、逆に言えば、どんな人も一人残らず自分オリジナルの宇宙を持っている、そう解釈したくなります。
でも、そうなると、それは「違い」ではなくなり、ただ単に、そういう宇宙が存在するだけになってしまいます。
オリジナルがあって、その一部が変化することによって、オリジナルと違うとわかるのであって、オリジナルと無関係なものがそこにあっても、オリジナルと違ったものとは、認識しません。
でも、一個人が行うことが、新しい宇宙を創り出すというのなら、一個人に対してひとつのオリジナルな宇宙が必ず存在すると仮定しなければ、話しが成り立ちません。
誰かが行うことは新しい宇宙を創り出すが、他の誰かが行うことは新しい宇宙は創り出しません、とはならないはずです。
となると、この新しい宇宙は、個人のオリジナルの宇宙であると同時に、他の全員の新しい宇宙でもある、としないと、成り立たない気がするのです。
このことがつまり、すべてはひとつにつながっている、ということなんでしょうか。
どんな人も、ひとり残らず全員が宇宙全体に「違い」を創り出します。どんな人が行なうことも、すべてひとつ残らず新しい宇宙を創り出します。なぜなら、いかなる変化もすべての変化になるからです。 by バシャール
……ということで
分離しながらも、ひとつである、というのは、先程本家ウェブサイトで書いたことと関連してきます。
【重要】「大いなるすべて」についてのまとめ : バシャールの学校
上の記事の、この部分です。
「大いなるすべて」が「大いなるすべて」であるためには、それ自身の中に「大いなるすべて」であるということを「知らない部分」を持っていなければなりません。(同書P.226)
そうすることによってはじめて、「大いなるすべて」は、存在と非存在、全体と部分というようなパラドックスを含んだ概念全体になることができる。
え~ということで、現段階の私の結論は
人は個人としてバラバラであるというのは、単なる幻想であり、本当はひとつである
ということなんでしょう。