時間が実際は存在せず、幻想だとしたら、「動き」というものも幻想なのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 北村麻紀 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック7―ワクワクとは、あなたの魂に打たれた刻印である (VOICE新書)
時間も動きも幻想であるとバシャールは言います。
そのことをイメージするには、映画のフィルムの一こま一こまをイメージすると良いそうです。
たとえばテーブルの上のリンゴを手に取って食べるというシーンの場合、簡略化して、3コマしかないとすると
1コマ目をテーブルの上にリンゴがあるシーン
2コマ目をテーブルの上のリンゴを手に取っているシーン
3コマ目をリンゴをかじっているシーン
に分けられると思いますが
この映画のフィル上の3コマはすべて現在に存在していて、本来は、現在において3コマすべてを同時に見ることができる。
そこに時間という幻想を導入すると、テーブルの上のリンゴ → リンゴを手に取る → リンゴをかじる という流れが生まれ、そこに体験というものが生まれる。
リンゴを手に取る体験、リンゴを食べるという体験、(最初に戻って)テーブルの上のリンゴを見るという体験。
時間という幻想のお蔭で、これらの体験ができる。
映画のフィルム一本分のコマを全部、同時に見たとしても、まったく面白くないだろうが、このフィルム一本を、時間の経過とともに一こま一こま見ていくと、すなわち映写機でスクリーンに映して見てみると、たとえば「面白かった!」という体験ができる。