自分の中にある、絶対的な安心感。
ベクトルではなくスカラーとして存在する、全ての波動の源である無波動。
喜びとは其処からいちばんに生まれた私たちの本質。神(呼び名はなんでも良いのですが)への全面依存。
僕のコミュニケーション下手で伝わり辛いかもしれませんが、上記のような感覚を一度でもあじわうと確実にその後は変わります。スピリチュアルな道を歩いているのなら、求めてみてください。
求めるより速く答えが与えられていることにきづけたら、しめたものです。
人として重たいこの身体を持っているかぎり、煩悩なんてあって当たり前です。神聖な体験(神の直接介入など)をしたあとも人生は続き、僕たちは喜び、悲しみ、怒り、笑います。
要するに表層の感情は揺れるのです。
そんなとき如何に魂の喜びを覚えていられるか。幸せって「なる」ものじゃなくて「思い出していくもの」ではないでしょうか?「なる」幸せはヒト、モノ、カネといったきっかけが必要です。結果から言ってしまえば、僕たちの社会では幸せそのものよりもきっかけが大切にされてますね。
翻って「思い出していく」幸せはどんどん余分なものをそぎ落とし魂の家に帰ることです。身体としての欲望はただ楽しみながらなので、あればなお楽しいし、無くてもかまわない。
ここまで思い出すと人間関係も楽になります。
難しいと思う方は自分を責めないことから始めて下さい。それが第一歩です。
今日は上から目線で失礼しました。僕の言葉に何かを感じるようなら変容が始まりつつあるのだと思います。素通りならば、この段階は終えているか、違うルートを通っているのか、今はこの段階の時ではないかのどれかでしょう。



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