女将の旦那です。

 

悲しみに暮れている暇もなく次から次へとやらなければならないことが

 

増えていく感じの今日この頃。

 

いつもしていた何気ない会話、くだらない夫婦漫才のような掛け合いのない日々です。

 

 

銀行の口座凍結やカード会社、携帯の契約状況、引き落としなど

 

妻と言ってもわからないことだらけ。

 

短い面会時間の中で特に最後の5日間で急速に衰弱してしまったため

 

大事なことはあまり話せないまま。

 

 

生命保険も以前は昔の友人の勧誘で外資系保険会社に加入していましたが

 

その友人が一言の挨拶もないままに退社してしまいその後の後任の方に

 

引き継がれましたが女将的には続けていく意味を失ったのか解約してしまい

 

保険未加入となり

 

その後に癌が発覚、がん保険も入院保険も生命保険も無いままでしたし

 

ステージⅣでは新規に加入はすべて無理だったようです。

 

亡くなって保存されていた書類や手帳などもざっと見ました。

 

4年間にわたる闘病生活の証というのか、膨大な毎月の血液検査の数値や医療費の領収書、

 

手帳は義母の介護や本人の治療スケジュール、さらにはここ2年は

 

大人の休日倶楽部に入会し、弾丸ツアーで東北や北海道、四国、さらには台湾など

 

このブログでもアップされていますがホントあちこち一人旅をしまくっていましたね。

 

夫婦でも贅沢な国内旅行を年に3回は行っていましたし。

 

本人の中で再発転移におびえ、元気なうちにあちこち行ってやりたいことを

 

やっていたように思えます。

 

まだまだやりたいこと、美味しいものも食べたいのにと

 

最後の入院前にも話していましたし

 

最後まで標準治療、抗がん剤にも丸山ワクチンや漢方や鍼灸など

 

あきらめずにトライしようとして

 

よく頑張ったと思いますよ、ほんとに。

 

 

 

緩和ケアに移っても半年後に退院し歩いて通院し

 

主治医が激減した数値を見てビックリ!するような光景を

 

頭にずっとずっとイメージしそれを女将に言い聞かせるように

 

何度か話したものです。

 

奇跡的だって驚くような九回裏ツーアウト満塁からの大逆転ホームランを

 

信じていたくらいです。しかし残りの5日間は時間を追うごとに痛みや苦しさ

 

足のむくみ、胸水、腹水で衰弱していってしまいました。

 

あまり思い出したくない光景ですがまだ目に焼き付いて離れません。

 

 

 

そんなことを思い出しながら

 

 

いろいろと書類整理していたら箱の下の方にこんなノートが出てきました。

 

 

 

あまり細かくは書いていないしまだ途中だったのかもしれませんし。

 

いつ書き始めたのかも知りませんでした。

 

 

葬儀は一日の家族葬で店の定休日にやって

 

と希望を書かれていました。

 

無駄遣いしないでお金貯めときなよって意味でしょうか?

 

 

以前にも簡単でいいよみたいな話は冗談ぽく聞いていましたが実際は

 

 

何十年も会えないままの友人、病院の面会規定が厳しく

 

会いたくても会えなかった友人、

 

ここ半年くらいになってとか不思議な縁でまた連絡取るようになりながらも

 

会えずじまいになってしまった方々、そんな方々の思いも考えると

 

ちゃんと通夜、告別式をやり好きだった黄色い水(ビール)を供え、

 

皆でワイワイやりながら見送ってあげるべきだろうと。

 

 

店に来てくれていた常連様、昔から我々を支えてくれた仲間や友人、お客様たち

 

私の同級生や後輩、恩師まで。

 

想定を大きく上回る弔問の数々。感謝。

 

 

 

遺影は癌になる前から言われていた写真。

 

昔はいつも○○〇〇さん(旦那である私のこと)の方が

 

私よりも先に死んじゃうんだからね。って言っていたのですが。

 

何を~スーパーじじい目指してしぶとくバリバリ生きてやる!

 

なんて冗談で言い合っていたのですが。

 

 

 

 

 

現生を生きるということ、修行ですね。

 

特に残された家族は。

 

まだ何かやらなければならぬ使命が宿命があるのでしょう。

 

輪廻転生というものがあるならば

 

肉体は滅びましたがまだ女将の魂は生きて苦しみから離れ

 

現生の私たちを

 

見守ってくれていると信じたいですね。

 

 

エンディングノートには女将の夫としてこのブログを引き継いでくれと

 

書いてありました。