3.11から10年経ちました。

 

 

当時は一般企業に秘書で勤務する傍ら

 

 

すでにお店を手伝い始めていた頃です。

 

 

久々の半ドンに浮かれてエステに行っていた時に地震が来ました。

 

 

当時のブログの魚拓があったので、こちらに記録として残しておきます。

 

 

地震

みなさん昨日は怖かったですね。

 

私はBOSSが午後から東北出張に行くというので

 

送り出してから

 

久々に早退の許可をもらい

 

六本木で優雅にランチをした後、

 

エステでマッサージを受けておりました。

 

そしたらなんかものすごい揺れるじゃないですか。

 

素っ裸ですよw

 

紙パンツのまま

 

あわてて着替えてお店を出ました。

 

「途中なので代金は結構です」とのこと。

 

エステのお姉さんは落ちてきた割れモノを片付けながら

 

おびえて泣いてました。

 

外では既に電車は止まっていて

 

六本木ヒルズ周辺の道路は車と人でごった返していました。

 

仕方なく六本木から自宅まで歩いて帰るわけですが、

 

余震もひどくて何度も道路で立ち止まったり。。。

 

携帯ぜんぜんつながらないし、

 

あせりました。

 

それでやっとのこと

 

目黒の自宅マンションに着いたら

 

玄関からしてもう、倒れた物どかさないと

 

奥にいけない状態で、

 

冷蔵庫や戸棚の中身飛び出てるわ、

 

炊飯ジャーひっくりかえってるわ、

 

床はガラスの破片の海で、

 

部屋はメチャクチャになっていました。

 

 

そして青森方面に出張中のBOSSは翌朝、やっと連絡がつきました。

 

新幹線車中で一泊し、

 

現在、青森に滞在しているそうです。

 

とりあえず、

 

生きててよかったです。

 

品川ではたらく社長秘書のアメブロ-20110311134230.jpg

 

↑写真は施術前、着替えを済ませ、

 

浮かれてお部屋を撮影していたところ。

 

品川ではたらく社長秘書のアメブロ-20110311134222.jpg

 

↑天井から自然光の入るステキなお店でした。

 

今回は残念でしたが、

 

また機会があったら伺いたいと思います。

 

 

その後、六本木から歩いて自宅まで帰り

 

 

自宅マンションが古くて耐震じゃなかったので

 

 

ものすごく揺れたらしく

 

 

ガスが止まり、玄関ドアが変形。

 

 

部屋がめちゃくちゃになっていて

 

 

母親が埋まってるんじゃなかと思って

 

 

崩れた荷物や家具をかき分けて探したけどいなくて大騒ぎ。

 

 

携帯も連絡が取れず。

 

 

その後、

 

 

買い物で外出していた母が

 

 

武蔵小山から夜の10時過ぎに無事に帰ってきてひと安心。

 

 

駅前のJTBさんのご厚意で

 

 

移動するのは危ないからと滞在させてもらっていたようです。

 

 

有難いです。

 

 

揺れてからすぐコンビニでお弁当を買ったのでなんとか夜はしのげたけど

 

 

その後、コンビニもスーパーも品薄で大変でした。

 

 

そういえば夜、権之助坂、目黒通りを上から見たら

 

 

暗闇なのに竹下通りみたいに人がうじゃうじゃ移動していて

 

 

明け方まで人がたくさんあふれていました。

 

 

その後の余震と、

 

 

テレビでACの

 

 

"ぽぽぽぽーん"と

 

 

"こだまでしょうか"

 

 

あと、オシムのCMが怖かった記憶があります。

 

 

あんな時に子宮頸がん啓発CMなんかもあったよね。

 

 

で、

 

 

過去ブログにあるように

 

 

社長が東北新幹線内に閉じ込められて

 

 

しばらく安否確認できなくて

 

 

総務がザワついてました。

 

 

たしか何日か帰ってこなかったんですよね。

 

 

あとから聞いたんだけど

 

 

新幹線はトンネルの中で

 

 

突然ブレーキがかかってゆっくり止まった後に

 

 

揺れが来たんだそう。

 

 

地震波を事前感知して危険を回避できる

 

 

日本の鉄道の技術ってすごいんだなーと

 

 

感心しました。

 

 

もう10年かー。

 

 

震災で被害に遭われ亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

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