なんといっても車旅行の第1位はグランド・キャニオン。


グランド・キャニオンまでの道のりは、何とアメリカ御用達の高速道路がない。


そもそも高速道路が必要ない。



雄大な大自然の中、ドライブをする。



最寄りの空港からグランド・キャニオンまでは6時間〜8時間ほどかかるが、

まったく飽きない。


雄大な景色がゆっくりと変わり、また違う大自然が目の前に現れる。



グランド・キャニオンではなく、「フォレスト・ガンプ」が立ち止まったモニュメントバレー。





私はグランド・キャニオンに行く前に、立ち寄りたい場所があった。

「ダイナソートラック」という、

恐竜の足跡が見れる場所だ。



そこは先住民ナバホ族の方の自治区だった。

居住地だけでなく、自治区。




昔、イスラエルでパレスチナ自治区に行った時は、乱暴に言えば、

高層ビルが立ち並び、神戸のようなテルアビブの都市のすぐ近くに、

戦争で崩壊した

ウォーキングデッドのようなパレスチナ自治区の町並みがあり、本当に同じ国内なのかと衝撃だった。



イスラエルのテルアビブと、パレスチナ自治区。同じ国内でここまでとは。




そこまでの衝撃はないが、やはり先住民ナバホ自治区は衝撃だった。




貧困層の壊れたトレーラーハウスが並び、

砂漠の砂にまみれてボロボロで、更に悲しかった。


先住民ナバホ自治区は、

貧困層やアルコール依存性が多いらしい。



驚いたことに、先住民ナバホ自治区のモニュメントバレー付近は、

アメリカ大陸の真ん中なのに、

「アルコール違法地区」ポーン


飲酒だけでなく販売もされていない。



私でも知らなかった、

アメリカ国内にアルコール違法地区があるなんて。



先住民ナバホ自治の刑務所もあり、どこまで厳しいかは不明だが、


観光客もアルコール禁止。




イスラム教国で、アルコール禁止のエジプト、トルコに行った時は、

観光客用の五つ星ホテルではバーがあり、高級ナイル川クルーズ船でもお酒が売られていて逆に驚いたが、



モニュメントバレーの五つ星ホテルは、

観光客もアルコール禁止。



イスラム教国より厳しい、

アメリカ国内の

先住民ナバホ自治区。




しかしモニュメントバレーで、ナバホ族のガイドでジープツアーに申し込み、案内していただいた時に、
「おもしろい場所がある」と連れて行ってもらった。

そこには、死角の場所で、
先住民ナバホ族が隠れて飲んだとされるビールの空き缶の山。

真新しいビールの空き缶が大量に山になっていた。
観光客が持ち込んだものではないようだ、だって観光客なら缶を持ち去れるから。

違法地区だから、居住者のナバホ族は簡単にビール缶を捨てられないんだろう。


おもしろくはなかった。
全くおもしろくないほどの空き缶の量だ。
先住民の方にはアルコール依存性が多いと聞いたが、これを飲んだ方もそうだろう。
長い間溜まっている、というより真新しい缶の山だったから。

また一つ、「フロンティア」とは名ばかりの
アメリカ社会の闇を見た。

私は昔、アメリカ東海岸(南部)に住み、

アメリカじゅうを旅したが、


モニュメントバレー以外で、

先住民に一度もお会いしたことがない。

ゾッとする事実。


ユダヤ人への大量虐殺は、

「ホロコースト」と呼ばれ、ナチスドイツは批判を受けているが、

アメリカ先住民への大量虐殺、民族浄化は、

「フロンティア」と呼ばれて、まるでヨーロッパ人がアメリカを開拓したサクセスストーリーとされている。



広大なアメリカ大陸に かつて住んでいた先住民に、ここまでお会いできないなんて異常だ。



さて、恐竜の足跡が見れる

「ダイナソートラック」について。


ガイドブックだか、ネットの情報だか忘れたが、

「ダイナソートラックは先住民の方が管理されており、入場料などはないが、彼らの作っているインディアン・ジュエリーを買ってあげてくれ

と書かれていた。


こんや感じでゆるく先住民ナバホ族が管理されている。



私は彼らからのインディアン・ジュエリーをもちろん買う気だった。

「申し訳ないから買ってあげたい」ではなく、

本当に欲しかった。


私はアクセサリーは一切興味がない。

家族が買ってくれたシンプルなダイヤのプラチナ・ネックレスを5年くらい愛用している。

それも特別高価ではなく、7〜8万円のものだ。

それが私には合っている。



ただインディアン・ジュエリーは、私が10代の頃に、安室奈美恵がつけたことにより、一時期、日本で大ブームになった。


その時、インディアン・ジュエリーはオシャレだと思って私もつけていた。


その思い出がある。




ダイナソートラックに車を停めると、

先住民のお母さんが歩いてきた。



親しみがわいた。


私はエジプトにも母がいるが、

もう1人、アメリカにも母がいる。


(私は世界じゅうに母がいるようだが、

エジプトとアメリカのみです。)



私がアメリカで、お母さんと呼んで慕っていた方は、韓国系アメリカ人の女性で、本当に大好きな人だ。




ダイナソートラックにいた先住民の方は、その韓国系アメリカ人のママに似ていた。

そう、先住民ナバホ族は、ヨーロッパ人よりもアジア系に近いお顔だち。

長いアメリカ生活で、アジア系の方にお会いすると、ちょっとホッとする。



早速、1時間ほど先住民ナバホ族のお母さんの案内で、恐竜の足跡を見て回った。



すごい!あの恐竜の足跡だ。

大興奮する私と、先住民のお母さんはすぐに打ち解けた。



ちなみに日本語の「あっち」「こっち」は、

ナバホ語でも同じらしい。

何だかおかしくて、

2人で「あっち?」「こっち!」と笑った。

ナバホ先住民の方、アジア系の顔立ちと、ちょっと私たちみたいにシャイなんだよね。

だから親しみがわく。




ガイドが終わった後、

先住民のお母さんは、

何だか気まずそうに、申し訳なさそうに、

「もし良かったら、私が作ったジュエリーがあるんだけど…」と言ってきた。

(こういうところ、ちょっと日本人っぽいよね。)



※これ以上、「インディアン・ジュエリー」と表記するのは、私の信念に反する為、

以下、

「ネイティヴ・アメリカン・ジュエリー」

と書きます。



彼らはインディアンではない。

コロンブスが来るずっと前から、

アメリカ本土に元々暮らしていた、誇り高き先住民、

ネイティヴ・アメリカンだ。


彼らこそが本当のアメリカ人だ。





アクセサリーに興味がない私が、

お世辞でもなく、


「これ大好き!」

「かわいい!」

「素敵!」を連発し、

自分用と、日本人の友達に送る用に、

ネックレスやブレスレットを次々と選んだ。


決してお世辞ではない。

本当にお母さんの作ったネックレスやブレスレットが私の好みだった。


日本だと、インディアン・ジュエリー改めネイティヴ・アメリカン・ジュエリーが流行ったのは、安室奈美恵がつけていた2000年前後。


ただ私は流行は気にしない。

10代はアムロちゃん、

20代はエビちゃんOLで、めちゃくちゃ流行を気にしていたが、今は自分に似合うモノを着る。


日本人の私の友達も喜ぶはずだ。

アメリカのクソまずいチョコレートなんかもらうより、よっぽど嬉しい。


未だに根強くネイティヴ・アメリカン・ジュエリーのお店は表参道にあるが、そこで買えば、1万5000円〜はする。



そしてお母さんが作るネイティヴ・アメリカン・ジュエリーは、

100% メイド・イン・ナバホ!

かっこいい!



しかもお母さんは、

1つ、たったの10ドル (約1000円)でいいと言う。


私は喜んで、自分用にいくつかと、日本人の友達に送る用に、10個も選んだ。



あまりに爆買いする私に驚き、お母さんは、

「え!?アセアセそんなに買ってくれるの?ポーン

それなら1個8ドル (約800円)でいいよ。」


と言うが、私は、

「いや、値引きしなくていいよ!爆笑

だって東京で買えば、1つ1万5000円はするんだから。

本当にオシャレで好きなんだよね、お母さんのアクセサリー。ラブ





お母さんは、

「一緒にジュース飲もうよ爆笑と小屋に私を連れて行った。

「小屋」と表現して心苦しいが、本当に小屋だった。

小屋に冷蔵庫はなく、お母さんは私に冷えていないスプライトをくれ、2人で飲んだ。


2人でのんびり会話をしながら、

のんびりした初夏の砂漠での時間が流れた。





暑い砂漠地帯で何故だか不思議だが、


その時、一緒に飲んだ

冷えていないスプライトがうまかった。


※写真は、お母さんではありません。イメージです。


すっかりお母さんと仲良くなり、長居した私、


この後、グランドキャニオンに行きたいのに、夜になってしまう。





先住民ナバホ族の方はハグをしないと聞いた。

日本育ちの私も、基本的に、家族以外とハグはあまりしない。



しかし、私とお母さんは、私が車に乗る前に、

お互い自然に、ハグをした。


家族が長い別れの前にする、

長いハグだった。


もうお母さんに2度と会うことはない。




「Good luck!」



アメリカ人の習慣で、

「Good luck.」と言って別れた瞬間、もう後ろを振り返りはしない。


(本当にアメリカ人は、基本、お別れの言葉を言った後は、振り返りません。)


また「Good luck.」と言って別れた瞬間、それ以上の見送りもしない。





しかし私は車で去り、コーナーを曲がる瞬間、

止まり、後ろを振り返った。


お母さんは、まだ私を見送り、手を振っていた。


私は窓を開け、最後に思いきり手を振り去った。



たった3時間一緒に過ごしただけなのに、

もう二度と会うことはないのに、

一生、忘れない人。


旅には、そういう人がいるよね。

 

私はあのお母さんを一生、忘れない。






ダイナソートラックで1時間の予定が、気づいたら夕方に近づいてきた。


まずい。

夜になったらグランド・キャニオンが見れない。


どうしても今日、一度はグランド・キャニオンを見たい。



私は、グランド・キャニオン国立公園内のロッジに鬼電をし続けた。


グランド・キャニオン国立公園のには、高級ホテルやモーテルが沢山ある。


しかし私は、国立公園のロッジに泊まりたい。

右上のお洒落な建物が国立公園内にあるロッジ。

立地が良すぎるでしょ?

やっぱり泊まりたいよね。



そして国立公園内のロッジは、確か6ヶ月前から予約を受け付けており、

世界中から観光客が集まるグランド・キャニオン、予約はあっという間に埋まる。


それ以外の方法は、当日にロッジに直接、電話をしてキャンセル待ちが出たか、ひたすら聞き続けるアナログ方式しかなかった。(当時。今はわからない。)




国立公園の外の高級ホテルは、1泊2万円〜。 

安価のモーテルでもやはり足元をみて、1泊8000円〜と割高だ。


しかし国立公園内のロッジは、おそらく民間運営ではない為、1泊1万3000円〜とそんなに高くもない。


しかも目の前に広がるグランド・キャニオンのレストランで朝食のパンケーキとオムレツが食べられる。ホットケーキ

(アメリカの高級ホテルの朝食で、唯一おいしいチーズ・オムレツ。自分でカスタマイズを頼んで、目の前で作ってもらえる。チーズ)


あきらめきれない。


やはり国立公園内に泊まらないと、こんな素晴らしいレストランもない。



しかし私の車はグランド・キャニオン国立公園の入り口にはもう着きそうだ。


ここで、3時間の遅れが功を奏した。

国立公園の入り口の直前の電話で、

「もしもし」と言った瞬間、

「You got it! 」と言われた。

声を覚えられていた。


国立公園に入る直前に、無事にキャンセル待ちが出て、国立公園内のロッジの予約が取れた。


「君は僕に借りがあるよ。ご褒美は何?」と笑う電話口のホテルマンに、

「着いたらあなたにビッグ・ハグをする!」と

基本、ハグをしない私は笑って言った。


国立公園内のロッジからの風景。




更に予定より3時間遅れて本当に良かったことがある。



国立公園内の駐車場に車を停めて走り、

私が着いた瞬間に見たのは、


ちょうど夕焼け時。


壮大な夕焼けのグランド・キャニオン。


この瞬間、壮大な大自然に鳥肌が立ち、

「Oh my God…」しか言えなくなった。



ここで書く言葉や表現はない。

ただ1つ、Oh my God だ。

涙で震える。

壮大な大自然を見て、自然に流れ出る涙。

こればかりは旅でしか味わえない。




次の瞬間、私の隣に誰かが走ってきた。


アメリカ人の大学生みたいな男性。

彼も私と同じ遅刻組で、ギリギリ間に合ったようだ。


彼は、夕焼けのグランド・キャニオンを見て、私の隣で、

思いきり大声で、


Oh my God!!!!!!!!!!!!!!!!


と叫んでいた。




写真でしか見たことなかったグランド・キャニオン。


たった1日で色々なことがあったな。

それが旅の1日だよね。



家にいてただ寝てるだけの1日と比べて、

旅の1日は本当に長くて、色々なことがある。 


だから旅は素晴らしい。