13年前に観たイスラム映画の話の続き。


不倫よりも、婚前交渉よりも、

衝撃だったことがあった。


それは、

レバノンの美容院が、

早朝に異常に混む。


近所じゅうの女性が、

老いも若きも毎日、

早朝に美容院に通い、


髪をキッチリとセットをし、お化粧まで美容師さんにしてもらっている。





若い女性だけでなく、おばちゃん、おばあちゃん世代も同様に多い。


日本だと髪を美容院でセットしてもらう機会なんて、結婚式に招待された時くらいだろう。

毎日、美容院でセットをするなんて銀座のママくらいだ。


(ところで皆さんは、美容院でヘアだけではなく、お化粧をしてもらったことはありますか?

私は以前、友達の結婚式に招待された際に、美容院でついでにお化粧をしてもらいました。

そうすると、やはり自分でやるより全然違う!!

美容師さんはプロなので、私の骨格や彫りに合わせて、バランスよくハイライトやシャドーを入れてくれるし、本当に私に似合うシャドウやチークやルージュの色を選んでくださるので、顔が変わりました!!)




レバノンの美容院は早朝だけ異様に混み、昼からは脱毛エステやカットのお客様が、ポツポツとゆるく来るだけで、非常にヒマになり、

美容師さんたちは世間話をして遊んでいて、

夕方にはもう美容院を閉めている。

日本の美容院とは大違いのタイムスケジュールだ。


日本だと仕事帰りに美容院に行く人も多いので、そこからが稼ぎ期の時間なのだが…。





その理由は、

その映画から数年後に観たドキュメンタリーで判明した。


何とレバノン女性は毎日、早朝起きたらすぐに顔を洗って、夫が起きる前、朝食も作らず美容院へ行く。

そこで美容師さんに髪をしっかりとセットしてもらい、お化粧までしてもらって

家に戻り、そこから朝食を作り、その頃に夫も起きてくる。



ドキュメンタリーに出ていたおばちゃんは、

「毎朝、美容師さんに髪と化粧を美しくセットしてもわらわないと、私の一日が始まらない。」と答えていた。


インタビューに答えていた初老のご主人は、長い結婚生活で、奥様のノーメイクをほとんど見たことがないそうだ。

毎朝、朝食作りをしている奥様は、すでに美容院で髪がセットされ、キッチリと化粧をした洗練された美しい女性だ。

ちなみにレバノンはイスラム教国なので、専業主婦も多い。

専業主婦でも当然、美容院に行き、美しい姿のまま家事をする。


ドキュメンタリーで紹介されていた主婦たちは、お金持ちというわけでもなく、家はごく普通の古めのマンションだった。


収入、年齢、宗教観に関わらず、

レバノン女性は、美容院に行くらしい。



女性たちが、毎朝、美容院に行き、カンペキな髪型と化粧で美しくいる理由…。

その理由は実はとても悲しく、

しかし私はこれに深く共感した。




レバノンはアラブ国家だが、

歴史的背景と地理上の理由から、

アラブ国家には珍しく、半数近くがキリスト教徒。

その為、宗教観が火種となり、それが政治的軋轢を生み、

ずっと内戦に苦しめられた。


内戦中の混乱のなか、ユダヤ教のイスラエルにも攻撃された。


さんざんやな、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、殺人が禁止されているのにね。


更にレバノンの隣国は、

戦争中のイスラエルと内戦中のシリア。

レバノンよ、どこまでも立地条件が悪すぎる…。


いつ、あまり仲良くもない隣国からとばっちりを受けるかわからない。


(それにしてもシリア…あれから未だに内戦が終わらないんですね。

もう11年も経ったのに。

もうすっかり日本でも報道されなくなりましたね。)




世界中のどの戦争でも、

一番最初の犠牲者は真実であり、

一番最大の犠牲者は、

子供と女性だ。



子供を失うと女性は生きてはいけない。

絶望し、自分自身も明日が来るかはわからない。


ただ彼らはキリスト教徒とイスラム教徒。


どちらの宗教も、

「自殺は一番ゆるされない行為」


「自殺は、本来一番大切にしなければならない自分自身に対する殺人であり、

自殺をすれば地獄に行く」

と小さな頃から叩き込まれている。




長い内戦に翻弄され、

ギリギリの精神状態でも何とか生きていく為に、

壊れてしまいそうな自分自身を何とか保つ為には、

美しくいることだった。



明日はもうないかもしれない人生で、

何とか強く、

凛として生きていく為に、

髪をセットし、

美しく化粧をし、

強くあり続けた。


ドキュメンタリーでも、

「私たちは空襲の日でも、

気にせず美容院に行き、自分たちを美しく磨いていた。」


確かに、空襲の中、防空壕で震えるより、

負けてたまるか、と美容院で美しく着飾る。

凜と強くいる。

男性には理解できないだろう。





「私たちレバノン人は貯金なんかしない。

物もそんなに買わない。


明日が来るかはわからないから、お金や物は必要ない。

だからお金は、

今日一日、

私がひたすら美しくいる為に使う。」




老後のために貯金をしたがる日本人がいかに幸せかを感じた。


わかる。

わかるよ、

レバノン女性たち。


私がイケメンと話したいと思うのも、類似している。

(↑え。)






15年位前に読んだ本では確か、

レバノンは1900年代の中盤あたりから、

議員の数を公表しないと読んだ気がする。


議員の数を公表する=

議員のキリスト教徒とイスラム教徒の比率が公開になってしまい、

それがまた政治的軋轢に繋がってしまうからだ。


それを読んだ時、

レバノン人は必死で戦争を避けようとしているんだなと思い、胸がつまされた。


モスクの隣に教会がある。


映画「キャラメル」でも、

4人組の親友たちは、

2人がキリスト教徒、2人がイスラム教徒という設定で、とても仲が良かった。

互いの悩みなどを相談し、泣きついたり、抱きしめたり、病院に付き添ったり、腹を抱えて一緒に大爆笑したり。


同性愛者の親友に好きな女性が出来た時も、親友たちは優しく見守り、

不倫で悩む親友のことも、心配してあげたり、叱ったり、たしなめたり、一緒に笑い飛ばしてあげたり。




映画の最後は、イスラム教徒の親友の結婚式だったのが、

なぜか途中でカトリックの象徴であるマリア像が運ばれてきて、

キリスト教徒(レバノンはマロン派カトリック)の女性たちは、そのマリア像に祈り始めた。


私はこのシーンがとても嬉しかった。

キリスト教徒とイスラム教徒が半分ずつ暮らすレバノン、互いの宗教を尊重し、

イスラム教徒の結婚式でも、ゲストで出席してくれたキリスト教徒が祈れるように、マリア像を運んできたのだろう。




実は私の親友も、ガーナ人でイスラム教徒。

私たちは本当に仲良しだ。

そして助け合って生きている。






また更に印象的な最後のシーンは、


隣のおばあちゃん姉妹が夕焼けの中、

自閉症の姉が相変わらず道端で紙を拾いながら、

それを妹が優しく手をつないで、

2人で歩いて行く後ろ姿。


そのラストシーンで締めるところが、

切なく、

この主演、監督、脚本のナディーン・ラバキーさんを美しすぎると感じた。


奥に教会が見える、長年の内戦で苦しんだベイルートの街並み。

かつては「中東のパリ」と呼ばれるほど美しい街だった。

行ってみたい。




ちなみに映画のタイトル

「キャラメル」は、

食べ物の甘いキャラメルのことだが、

アラブ圏の女性はそれを脱毛としても使う。


性的な魅力を高める目的である女性の脱毛は、

イスラム教徒ではタブーであり、


キャラメル=「女性の秘密」という意味合いがある。



また脱毛の美しさと引き換えに、かなりの痛みを伴う為、

キャラメル=

「女性であることの痛み」という、

何とも切ない意味合いを持つタイトルらしい。