富士山登ったことある?




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彼方に見えますのが、本土最南端にあります開聞岳〔かいもんだけ〕です
美しい円錐形の山は、さつま富士とも呼ばれています。
今回の鹿児島の旅で、ぜひ行きたかった知覧特攻平和会館と開聞岳に行けました。

第二次世界大戦中の

昭和20年の4月から6月のこと
〔リンクより以下抜粋〕
沖縄を取り囲んだ連合軍18万の兵力と艦船1500隻からの沖縄侵略を防ごうと、爆弾を積んだ戦闘機で体当たりしようと出撃したのが特攻隊員だ。

 特攻隊員は全国から集められた飛行士で、10代も多かった。出撃した彼らが最後に見た本土の景色が開聞岳だった。

知覧特攻隊平和会館のある場所から、下は16歳の少年を含む、20代が1番多く沖縄へ向けて出撃しました。

開聞岳上空を通り、何度も振り返りながら青い海へと飛び立つ少年や青年たちです
何度も振り返りながらも、意を決して2時間の沖縄までの最後の旅でした。


隊員たちが親や兄弟、姉妹、妻や子、そして恋人に宛てた、美しい字で綴られた決意が込められた絶筆の数々が収められています。

ひとりひとりの写真が、まだ幼さの残る顔が、胸を締め付けられました。

我が息子と同じ年齢の若者が大多数です。


九州には知覧以外にも、特攻隊が出撃した基地が多くありました。


現実にあった事です



機会があればぜひ知覧特攻平和会館

そしてさつま富士とも呼ばれる、開聞岳を最後に見て海に散っていった若い隊員たちの事を思い出すためにも、来てみたかったところです。


知り合いの曽祖父が特攻隊の生き残りだそうです。

機体の不具合で海に不時着しましたが、運良く漁船に救助されたそうです。

曽孫の彼は、自衛官になり念願の戦闘機乗りになりました。




私が知覧の特攻平和会館に行ったよと娘にLINEをしたら



偶然にもパールハーバーへ行ってきたよと返事が来た

ハワイへお友だち家族と一緒に行っているのは知っていましたが‥




今起こっている戦争が終わりますように

新たに絶対起こりませんように

平和を願います