消えたい。
そう思う事がある。
『死にたい』ではなく『消えたい』

私が死んだら、何より両親が悲しむだろう。
子供たちを悲しませる訳にもいかない。
だから、自ら死を選ぶ事は決してしない。

でも、ふと消えたくなる。
跡形もなく消えられるのなら。

子供たちが安心して過ごせるように、いつかは安心して巣立てるように、そう思って子育てをしてきた。

なぜなら私が幼少期、両親の不仲、母のうつ病、それによる希死念慮の心配に心を痛めて生きていたから。

両親の喧嘩を泣きながら必死に止めた。
泣き腫らした顔で学校に行った。
母が眠剤を大量に飲まないように隠した。
母の入院に付き添い、病院に寝泊まりした。
父が飲みに行った時は、ちゃんと帰ってくるか心配で眠れなかった。
母の帰りが遅いと心配で仕方なかった。
そんな毎日だった。

反抗期は無かったと思う。
心配で、不安で、反抗なんてできなかったのかもしれない。

その反動か、社会に出てすぐ、飛び出すように家を出た。

色んな事があったけど、家を出て10年程経って結婚して、子供も産まれて、両親とも良い関係を築けたし、子供たちの存在によって親孝行もさせてもらえた。

私は子供たちに私のような思いはさせたくなかった。
安心して帰って来れる家を。
安心して勉強できる環境を。
食べる事を楽しめる心を。
そしていつか、安心して巣立って行けるように。
そう願って生活してきた。

そう思うがあまりに、夫に対しては我慢しすぎる癖がついた。言いたいことも言わずに。

子供たちとの日々は、本当に幸せだった。

心配性で不器用な母だったと思うけれど、子供たちと過ごした日々は私の人生の宝物。


無事に思春期を迎え、反抗もしてくれた。

難しい時期もあったけど(息子はまだ最中かな…)、2人とも高校を卒業後は地元を離れ進学したいと。

まさに私が目指していた未来。


それなのに、どうしてこんなに寂しいのだろう。

この春は娘が巣立って行った。

考えだすと心が決壊しそうで。

心に蓋をして、考えないように、考えないように、泣き出さないように、間違えても後ろ髪を引かないように。

娘の後ろ髪を引くくらいなら、私なんて居なくなってしまったほうが良いと思う程に、

娘を送り出すその日まで、必死の思いだった。


流石に家を出る時、新居に娘を1人残して来る時は泣いてしまったけれど、なんとか送り出す事が出来た。

それでも、おかずが余った時、娘の好物を作った時、ふと流れ出す涙。


来年は息子。