随分前になりますが、スピ系の方から、
「これからは魂の段階ごとに住む世界が文字通り違う世の中になる」
なんて話を聞いたことがある。
だれかがこの世から消えるわけではないけれど、
段階の違う魂同士は、
「いるけど、いない」という状態になるとのことだった。
「何を言っておるのだかw」と思っていたワタクシ。
最近、ふと思った。
本当に、そういう世の中になりつつあるのかも?
昔から「類は友を呼ぶ」という。
ある特定の人を経由して知り合う人は、
なんとなくある特定のタイプの人であるような気がする。
親類縁者など、自ら選んでいない人間関係については、
この限りではないけれど、
いわゆる「友達」を紹介されたときには、イロがはっきりと出るね。
この人に紹介される人は…
冗談好きな人が多いな、とか
理知的な人が多いな、とか
不平不満のタネを見つけるのがうまい人が多いな、とか
いない人の陰口ばっかり言う人が多いな、とか
なんか自己中な人が多いな、とか…
ね。
でね、それぞれのグループに「善悪」はないのね。
ただ、似たような「幸福」を目指す魂が集まるから、
結果似たようなタイプが、似たような言動をお互いにし合って、
「幸福」を噛み締めておるのだと、思う。
例えばだけれど…
「すべての出会い、周りにいるすべての人に感謝」
「みんな素敵な人ばかり」
と、言っている人たちがいるとしよう。
この人たちは、どんなひどい目にあっても相手をそうみられる素敵な人…
なのではなく、
結果的には、そういったポジティブな思考の人同士が
集まるから、そういう輪ができているというだけのこと。
稀に、そういうのに表面的に憧れて、ちょっと違う魂の持ち主が
輪に入ろうとすることもある。
けれど…結果的には、本当に求める「幸福」が違うなら、
去っていくことになる。
お互いにお互いの陰口を言いながら、実は相手を小馬鹿にしながら、
利用しあい、搾取し合い、群れることを
「幸福」と思う人だって、いる。
当然、日々揉め事や敵味方論が交錯するのだろうけれど…
そういう波風がある状態にこそ生きている実感を感じたり、
敵を想定しての仲間がいることを「幸福」と感じる魂だって、
いるんだ。
何かのご縁で、そうじゃない魂の持ち主が一瞬そのグループに
参加することもあるとは思う。
変化に富んだ日々を、それなりの充実と感じられているうちは大丈夫。
けれど結局は…その無限ループに参加しきれなくなって、
自ら逃げるか、敵認定されて、追われる。
いずれにしても、どっちがいいとか悪いとかではない。
これらはちょっと極端な例。
実際は、もうちょっと色々と細やかな感性的な部分の話。
スピ的に「魂の段階」とか言われると、
人間としての生まれながらの値打ちをジャッジされているようで
なんだか素直に聞けなかったんだけど…。
今は、こんな風に捉えている。
ただ、その魂が本当に求める「幸福」にしか、
人は向かっていけないのだということ。
一見、自分の大変さや不幸を延々と嘆いているように見えても、
結局はその人にとってはそれが「幸福」なのだ、ということ。
「不幸な自分が、それでも頑張っている自分が、好き」
だったら、それも一つの「幸福」なんじゃないかな、とね。
だから、同じような「幸福」を求める人が、
互いに呼び合い、集まるのだということ。
人と人は、どちらかの成長が加速したり減速したりしたときは、
棲み分けのタイミングが来るということ。
今、自分がプライベートで関わっている人たちを見回した時、
どんな人が多いだろうか。
多分、それが…本当の自分自身。