当初岩国の城下町は錦川によって二分されていた。

つまり、横山山頂に城を築き、麓に館や上、中級武家屋敷を配置した地区と、対岸の下級武士や町人を住まわせた地区である。

ただ洪水の度に不便をかこち、藩主吉川広喜が架けたのが錦帯橋だ。

町人町側の魚町、塩町、米屋町といった庶民的な町名が大いに気に入って、登富(とうふ)町を描くことに決めた。

(画・文:千原昭彦)