幼なじみのお母さんが亡くなった。
癌だった。
おばちゃんはいつも笑っていてパワフル。
本当に夏の太陽のような人だった。
自営業ということもあるのかもしれないけれど、身内かどうかなど関係なく、みんなに同じように接する人だった。
私は幼少の頃からコミュニケーションがどちらかといえば苦手で、おばちゃんの少し強引なところが苦手だった。
でも、今思えば、おばちゃんの方が私の母よりも私をきちんと見ていてくれたのかもしれない。
心から思っていてくれてたのかもしれない。
昔、母に聞かされたことがあったのを思い出した。
「Hanaoちゃんは何も言わないで溜め込むでしょ?だから、時々は出させてあげないと潰れてしまうよ」
私がまだ小さい頃、おばちゃんが言ってくれていたらしい。
母が「それは私もわかってるからさせてきたけどね」と付け加え、私もそれを否定する気持ちなどなかったので今まで忘れていたんだけれど。
でも。
今、これまでを振り返ってみるとよくわかる。
困ったとき、ツラいとき、ウチの母は自分ルールで線を引く。
少し強引でも、あなたが心配なんだと、あなたが大切なんだと示されることの尊さ。
私は親から受けることのなかった深い愛情を、おばちゃんから貰っていたんだ。
私たちが大人になってからは特に、母の立場を考えて、きっと深く立ち入らないようにしてくれてたんだと思う。
私もその深い愛情に気付くことなく過ごしてしまった。
たくさんの愛を、自分のカラダを最大限に使って与え続ける人。
おばちゃんはそういう人だったんだ。
おばちゃんの闘病中、私も毎週末熱を出したりしてなかなか会いに行けなかった。
そして、本当に久しぶりにおばちゃんに会ったときに気付いたの。
でもね、言ったらお別れな気がして言えなかった。
結局最後の期間の面会ですら制限がかかってしまって、会えたのは1度きりだった。
また会えると思っていたのに…
だから、言えなかった。
大切なこと。
おばちゃん、大好きだよ。
私、もう絶対にしない。
後悔するような生き方。
会いたい人に会えないような生き方。
思っていることを飲み込んでしまうような生き方。
この一瞬、一瞬を大切に。
思うだけでなく、気持ちをカタチにしていこう。
カラダであらわしていこう。
言葉も大事。
だけど、それ以上にカラダを使って示すことが大事。
立派なことを言ったって、行動が伴わなければ意味がない。
頭でっかちは立っていることすら難しいのだ。
これからは、おばちゃんがいつだって見ている。
きっとおかあさんと一緒に話しながら。
私と幼なじみを見守ってくれてる。
おばちゃんの長所を受け継いだ幼なじみを見習いながら、私もひとつひとつ始めていこう。