一体 | メランコリーの闘病日記

メランコリーの闘病日記

自身の病気を通して学んだことや、日々感じたこと、過去の出来事を踏まえて学んだことなど様々な視点でブログを綴らせていただいてます。

最近はずっと言っていること。

この感覚は一体。


忙しくブログ書かずにいますが、やっとそろそろPCを買えたらいいなと思っているので更新しやすくなるといいなと思っています。


今日は病院診察でした。


今の僕の主治医は、PTSDの入院治療EMDRでお世話になった方です。

以前お世話になった女医の先生が勉強で県外に行くことになり、主治医を変えざるを得ない状況となりましたが

昨今

偶然、僕の今通ってる病院に
その女医の方が在籍していることは知っていました。

しかし、前々から知ってはいるものの
「主治医をまた戻したい」だなんて言う勇気はずっとなく、
診察の頻度もかなり減ったのでそのまま何も言えずに時が流れ、

前回、先月の受診でやっと
「またお会いしてみたいです」と今の主治医に言いました。

「あれ?知ってたんだっけ?僕の前に診てもらってたんか?」と言われて終わりました。


今回の診察で、
「メランコリーさんのこと話したらよく気にかけてくれるで。今は2ヶ月に1回くらいしか来ませんよ言うたら驚いてました。」と言われて

思わず嬉しくて笑顔が出てしまったのです。


その後に会計待ちのときに、その女医の先生を病院内で見かけ、
『あ、本当にここにいるんだ‥』とは思ったものの、声をかけることはできませんでした。


是非お会いしてみたいと思うものです。

彼女は本当に僕の〝悪い状態〟しか診たことがないに等しい方です。


僕を、境界性パーソナリティ障害と診断したのも彼女です。

彼女からその診断がおりなくなるなら、本当に僕はその疾患ではないような気がしてしまうのです。

他の方がどうなのかわかりません。
だけど、僕は
「境界性パーソナリティ障害」という診断で間違いがないなと自分でもしっくりくるような
症状が酷かった時でさえも


僕をその疾患と診断するのは難しく、
医療者目線ではあまりわからないようでした。

周りの友人も、あまり僕の変化を知る人はいません。


もともと、交友関係は広い方だったので、
僕にとってはその頃から
医者は

〝僕の周りのいろんな人達の中の一人〟

という距離感になることしかできず(厳密に言えばそれで済んで相手は迷惑を被らずに済んでいます)

謂わば、対象に依存しない状態だったので
その中でも診断を下せた彼女を僕は凄腕の医者だと思っているのです。


彼女からの診断告知がなければ、
今の僕は僕ではなかったのかもしれない。


懸命にこの疾患を調べ自己分析し、
どうしたら自分が良くなるかと考える近道となったのは間違いなく診断告知だったので。



「自分の中の自分が消えてしまった感覚」というのは日に日に酷くなり、
大体完成してしまったような感覚に至っています。

とても説明のしづらい感覚です。


境界例に関する自己診断チェックテストも、
5年ぶりくらいにネットで見つけてやりました。

本当に僕はこれにチェックを入れていたのだろうか
と思うようなものでしたが、

過去に同じものをした僕は
本当に他人は全然これにチェックが入らないのか
というような感覚だったのを思い出しました。


そして、

過去のブログを少しだけ読みました。


やはり僕ではない僕がいました。


今の僕を
過去の僕と少し違う

と言う友人もやはり何人かはいて。


境界性パーソナリティ障害って、
良くも悪くも
〝凄く他人の目を気にする〟疾患だと思います(恐らく)。

それが凄く極端です。
本当に凄く。


それ故の、控えめさ、は確かにあったと思います。
その疾患を持ってこその
優しさだったとは、僕は思えないですが、
やはり〝控えめさ〟という表現の方がしっくりきます。


過去の僕の優しさというのは
自分が傷つくことを回避する為のものであったに過ぎないといっても語弊はないと思うくらいに
エゴの塊だったような気がして。


なるべく万人の人間に好かれ、
好かれなかったとしてもせめて
嫌われずに捨てられずに
全てを平和に穏やかに過ごしたかったでしょう。


ただ、それを望み、期待をしすぎるあまりに
逆に傷つき、傷つけることも多くありました。

一周回って平和から遠ざかっていたような状況。


そういう極端さがなくなった。


というのはありますが、

〝抜け殻になってしまった僕〟という感覚としては、

〝ボーダーだった僕〟として生きた人生が結構に長いことに気づき(長い目で見れば短いですが)、
大人として成長した僕でさえ〝ボーダーだった僕〟がボーダーとして成長してた僕だったんです。


成長さえも、ボーダーという僕が丸ごと成長していた。


なので、今
もし僕が僕の思い違いでなく
本当にボーダーとは診断できない僕なのだとすれば、

〝ボーダーの僕がさせた成長〟と〝ボーダーじゃない今の僕がしなければいけない成長〟との

ギャップや空白の感覚がかなり難しいんです。


人間誰しも歳を経て成長を重ねますが、
個性がそれぞれあるので
その人なりの成長の仕方ってあると思いますが、

その根本の人間が変わるとまた違った感じとなるんです(とても説明の難しい感覚)。



ボーダーだった僕が辿った軌跡が
赤白黄色黒の4色を混ぜながら道を作ってても


それを途中から歩く僕が
赤白黄色青だった場合に、その黒の道と、

今何故か手にしている黒に隠れていたであろう、

青の道をどう弄べばいいのかわからないのです。



本来0歳から歩んでたはずの道を
この歳から作り始め学ばないといけない道もあったりするような感覚ではあります。


本当にあの頃の僕は消えてしまったのか
思ってしまうようなことが多くあります。



ただ本当にこの疾患に関しては
治療や完治は凄く難しい。


だからこそ、
この真理が僕はわからず、
こんな事例があるのかもわからず、

途方に暮れる部分もあるので


一体この感覚はなんなのだろうと。



また更新します。