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歳を取るにつれて、友人と会う機会が減ってきたと感じる今日この頃。
私には、学生時代、お洋服の好みも楽しいと思う遊び方も好きなアイドルまで一緒で仲良くしていたお友達がいます
ただ、近頃は、子育て真っ最中で、自分の仕事に加えて、お子さんの部活や習い事と忙しそうで充実しているようで、なかなか会えなくなっています
人それぞれの幸せがある。
そのことを寂しく思った時もありましたが、今は自分自身の幸せに満足しているし、お友達の幸せも素敵だと思えるようになれた自分がいます。
何でも話せて、好きなものも一緒だった学生時代とは違って、大人の人間関係を良好に保つためには、
「相手に踏み込み過ぎない」という事がよく言われます。
この理由としては、幸せの形は人それぞれなのに、自分の形と違う場合に、批判や否定に走ってしまう人がいることから言われていることだと思います。
例えば、私達夫婦は、子供がいないので、子供のいる幸せを知っている方からすると、「可哀そう」とかなってしまうこともあるのかもしれません。
私の母親なんて、いまだに諦めずに言ってきますし、田舎なので、親戚の集まりなんかがあると、
「(私の歳でも)まだまだ出来るよ頑張りな」
みたいに言われたりします
初めのうちは、頭にきたりすることもありました。
余計なお世話だと。
この余計なお世話が、大人の友人関係では、疎遠の原因となってしまうこともあるので、要注意というわけですね
実際に子供の事に関しては夫婦で何回も話し合って決めたことだし、私達は大人2人で充分に楽しくやっているから幸せなはずなのに、そのままじゃ幸せになれない的な事を言われたら...
ぐさっと来るものがあるわけです
特に母親なんかには、孫の顔を見せてあげられない罪悪感なんかもあったりするわけで。
そのぐさっとくる感じが、家族ならまだしも、友人になるともう顔も見たくないってこともあるわけです。
だから、確かに、プライベートなことは踏み込まない方が無難です
というよりも、人の事に良し悪しを付けること自体が失礼な事ということでしょうか。
これがいいって信じている自分がいても、相手にとってそれがいいとは限らない。
そのことは、近い間柄であればあるほど見失いがちなことかもしれません。
ただ、自分でも気にしていないと思っていても、胸の痛みで実は気にしていたんだって分かることってありますよね。
最近思うのは、結局、踏み込まれようが、相手の言い方や真意はどうあれ、本当に自分自身に満足してたり、いい意味で諦めていたりしたら、何とも思わないってことです。
もし相手になにか言われて気にしてしまう自分がいるなら。
相手への批判をしていたらもったいない。自分と向き合うチャンスなんだと捉えてみることにしました。
現状に満足できない時や、まだあきらめきれていない時は、苦しくてももがいてみるのは必要なことで。
本当に自分自身でももがいてみて、結果がでたことなら。
前に進める。そう思うんです。
向き合って、乗り越えた時。結果はなんだっていいんです。
諦めるでも、もう少し頑張ってみるでも。
ふわっと軽い気持ちで、いられるならどっちだっていい。
自分自身を認めることが出来てるなら、結局、何言われてもへっちゃらなんです。
ぐさっと傷ついたこともありました。
相手を批判したくなるときもありました。
でも、今はそれさえも自分自身の頑張ってもがいていた証拠であり、そんな自分を愛おしく思えます。
私は私自身の幸せを。あなたは、あなた自身の幸せを。
そんな風にお互いに思いあえたら、素敵なことですよね
きっと今までよりも素敵な関係になれるかもしれません。
そう思うと、これからの出会いがとても楽しみです
素敵な大人の人間関係にアップグレードして。
これからご縁を大切にしていきたいと思った今日この頃でした
自分自身を向き合いたい時、ハーブティーは役立ちます。
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