無性に温泉に行きたくなり
うちから割りと近い日帰り温泉へ。



“都会の中の秘湯”とも言われる
とっても落ち着いた場所とのことで
1週間前からすっごく楽しみだった。



だれかを誘おうかと思ったけど
純粋に自分のペースで楽しみたくて
ひとりで行った。



予想外の雪まで降る寒い日。
広くて控え目な照明の浴室。
だれもが自分と対話するように
静かに湯に浸かっている。



その中に溶け込むように
じっくりからだを温める。



一度温泉から出て整体を受け
それから酵素玄米のおにぎりを食べる。



ゆるんで満たされてから
また温泉へ。



上がったら休憩室で横になり
温泉まんじゅうを食べる。



気づけば6時間滞在してた。



まったく時間を気にせず
心の赴くままに過ごす。





それって、なんて豊かなんだろう。






だけどその直後
私の心が貧しかったことに
気づいてしまった。



温泉まんじゅうを買うときに
一緒にお茶も買うかを迷ってしまった。





私はお菓子を食べるとき
一緒に飲むお茶やコーヒーが
いつもたまらなくおいしいと思う。



だから、お茶がほしいと思った。



今日はけっこうお金も使った。
さらにここで予定外のお金を使うことに
躊躇が出てしまった。



でも、そんなことを考え始めたとき
さっきまで私の内側には
豊かな感覚が広がってたはずなのに
急にキューっと窮屈になった。



それって言ってしまえば
貧しい感覚。。。



お金を使っていても
目の前のことを純粋に味わっているときは
とても豊かな気持ちになれる。



だけど、お金を失いたくないと考えてるとき
心はとても貧しい気持ちになる。



豊かさに憧れて
お金を手元に残そうと出し惜しみするほど
内側には貧しい感覚が広がってたんだ。。



私って実は
そんな思いで時間やお金を
使っていたのかもしれない。。



てゆーか、していた。






豊かさって
どれだけお金があるからではない。



持っているお金、時間、物、空間などに
どんな思いを寄せるのか、そして
どんな思いで使うのかなんだと思う。



お金や物がほしいと思うのは
豊かになりたいから。
幸せになりたいから。



でもその豊かさとか幸せって何だろう?



お金がたくさんあれば
無条件に豊かなのか?



それでもお金を失う
不安や恐怖をいつも感じていたら
それって豊かだとは思えない。



お金を得ていても
すぐ次の不安を探し続けてたら
いつまでも豊かな感覚は得にくい。



結局、豊かさや幸せって
外側の事実ではない。
内側の感じ方なんだ。



自分にあるものを
充分に味わいきれるかなんだろう。



だけど、湧いてくる不安を打ち消して
私は豊かだって思おうとしても
かえって苦しいだけ。



だけど、今回気づいたこと。



いつの間にか貧しさに毒されてた私でも
大好きな温泉を楽しむ時間を
惜しまず自分に与えてみたことで
豊かさを思い出したんだ。



豊かになりたい、幸せになりたい、
そう思っている時点で
そのイメージは自分の中にあるはず。



ただ、埋もれてしまっているだけ。



だったら、掘り起こして思い出せばいい。



どんな些細なことでもいいから
好きなこと、ワクワクすること、
楽しみなこと…
自分に惜しまず与えてみて
それを味わってみたらいいと思う。



そして、心が貧しかった自分に
深く気づいて、認められたら
そこから一歩外に出られた証拠だね。