ビクラム氏のことと、ヨギーらしさなどについて思ったこと。
いつかのYoga Journal、裏表紙から1ページ目には懐かしい顔がありました。
ビクラムヨガのビクラム・チョードリー氏。
健在そうです。
彼は世界中に600ものスタジオを持つ、ヨガスタジオオーナー。
私からすると、彼は「人間らしさ」100%、そして「人間の欲」そのもの。
パーティーでビバリー・ ヒルズの豪邸にお邪魔したときは、トイレが鏡ばりでびっくりしました。
女性も大好き(特に日本人)でインド人の素敵な奥様がいるのに、日本に愛人がいたり。
マクドナルドが大好きで、ヨガスタジオの向かいに店舗を作らせてみたり。
頭の中はお金!セックス!肉!みたいな。
高級車を集めるのが趣味らしくロールスロイスを何台も乗り回し、ギラギラしたダイヤモンドの腕時計(本人もかなりギラギラしているから、更にギラギラ感5割増し)なんかをしています。
そのためか、彼に対しては色々な意見があり、
ヨギー(ヨガをする人)らしくない、とか。
お金に執着してる、とか。
成金、とか。
でも、ヨギー(ヨガをする人)らしい、らしくないってなんだろう?
質素な暮らしをして、厳格なベジタリアンで、禁欲生活=ヨギーらしいかも。
でも心のなかでは、例えば快適な暮らしを望んでいて、肉や魚が大好きで、とても欲しいものをぐっとがまんしているだけだったら?
ヨガをする人ならできるだけ隠しておきたい部分を、悪びれもせずに体現しているビクラムは、ある意味正直だと思います。(ヨガをして欲の扉が開きすぎた感ありますが)
ほんとに正直すぎて、子どもみたいで、実際にみるとあきれて笑ってしまいます。
私たちは生きている人間だし、パタンジャリがヨガスートラを書いた時代と現代の社会的背景の違いも大きくて、いろいろな教えを厳格に守ろうとすると、きっと生活にひずみが出てくるのでは。
もちろん、その教えに真摯に向き合おうとする姿勢は大切。
ただ、「人間らしさ」「人間臭さ」と、ヨガで得たもののバランスを上手にとっていきたいと思います。
Live to Yoga. ヨガのために生きる。
ではなくて、
Yoga to Live. 生きるためのヨガ。
ビクラム氏、次なるゴールはテロをなくすことだそうです。
できるだけたくさんの人が、ヨガでも何でも笑顔になることをしてHappyになり、自分を大切にして同じように他の人のことも大切にしていけば、争いや戦争は必ずなくなるはず。
ヨギーらしい、らしくない、はさておき
きわどいビキニ姿でヨガをする、人間らしいビクラム・チョードリーを、わたしはかげながら応援します。というか、一応わたしの先生のひとりでした。。。