夫か亡くなって、もう11ヶ月。

もうと感じるか、まだと感じるか。

朝目を覚ました瞬間の絶望から、目が覚めなければ良かったのにと思いながらも、遺された者に課された手続きに終われっぱなしの日々は、悲しませない為の皮肉なお仕事に、感謝してもいた。

相続手続きか終わりかけた頃の私は、魂の抜けた人の形をした人間だった気がする。

煩い旦那さんから逃れて、あんたは自由で羨ましいだとか、もう憂うべきことが無いんだからと言われても、いったい誰が、私の哀しみを知ってくれたのだろうか。

皆大事なのは自分だけ。そう分かった時は、私は、本当の自由を手に入れた思いがした。

夫との死別は、確かに辛い。

経験したことのない人には、分かり得ない。

夫とは、永遠に会うことが出来ないのは、もう考えても考えても不可能だと、やっと知った。

夫の遺影は、毎日の食卓にも、居間にも、私の寝室にも、いつも私の見えるところにある。

困った時には、困った顔をして、そうだねという時には、そういう表情をして私をいつも見守ってくれていると信じている。


少しずつ、私も元の私を取り戻したいと思うようになった。

暗い顔ばかりした妻を夫は望まないはず。

夫が生きられなかった分を生きようとは思わないけれど。

暖かくなって庭のバラが咲いたら、私は楽しめば良い。

夫の遺影に花を手向けてあげれば、夫も喜ぶに違いない、そういう生き方をすれば良いのだと。

今日は今日の気分で考えてみた。

11回目の月命日。

夫は日本酒が好きだった。

夫のお酒が度を超して、夫婦仲が険悪な時期も長かったなぁ。。と。



2月は一周忌の法要をお寺さんにお願いした。