こんにちは、ココアこと田中貴子です。
「好き」「気になる」「ずっと一緒にいたい」「もっと知りたい」「会いたい」・・・・
漫画や小説・ドラマで、<もしもだったら・・>の妄想練習を沢山していても、いざ自分に降りかかると、さっぱり役に立たない。
どうしてこんな風になっちゃうんだろう?
こんなはずじゃなかったのに!
あの人の一言で態度で、どうしてこうも、心がかき乱されるんだろう。
そう自覚したときには、もう入り込んでるのが恋。
うんうん、あるある、あったあった・・・
すっかりもう、オバちゃんな私は、身に覚えはあるけれど、ひたすら懐かしいモードになっていて寂しいです。
そんな私でも、ひょんなことから出逢って意気投合して、もっと話したいから始まり、ある恋の終焉までの切ない物語はたまに観たくなります。
映画::「花束みたいな恋をした」 もうご覧になった方もいるんじゃないかな?
今年1月29日封切りでロングランの大ヒット、坂元裕二さん脚本に菅田将暉くん・有村架純ちゃんのナチュラルな演技に、引き込まれてしまいました。(以降、ネタバレあり・注意)
気が合う、好きなモノが似ているというのは、恋愛では大事なきっかけ。
出逢ってすぐ、好きな本など興味あることが、「あ・・わたしも!(俺も)」で笑顔になるところなんか、分かる~!を声にしたくなりました(笑)
私自身も、お見合いで知り合った旦那さんの話に前のめりになった瞬間も、東京ドームでやっていた同じコンサートにいたのだという共通項があったんですよね。
結婚後も、同じLPレコード(普通は知らない地味な作品)が手元にある。
パンフレットがあったことで、同じフラメンコ公演を観ていたを発見したときの驚きは今も覚えてます。
感性が似ていると、つい(わたしの世界を)理解してくれる人だから、運命の人!なんて思い込みやすい。
それはそれで幸せなんだけど、いつまでも変わらず、仲良くを維持することは難しいという現実もあります。
あるときは親からの干渉で、あるときは年齢で望まれる空気で。
そしてあるときは2人の幸せを続けるためにの心理的・経済的な安定を図るため。
映画でも、互いの環境が変化して、好きの共感が重なり合わなくなったあたりから、切なくなりました。
好きなことをしたいで転職する絹と、我慢も仕事のうち、好きなことだなんて仕事を舐めているという麦。
どっちが悪いという訳でもないけれど、何かが失われてしまった。
そうなると、双方にとっての結論は、これ以上心がすれ違ってしまうのを避けたい。
大好きで一緒にいるのが楽しくてならなかった日々だけは、そのままラッピングして、傷づけたくない。
それなりに穏やかに現状維持という選択もあるかもしれないけれど、先がどうしても描けない。
でも、これほどまでの人にはもう2度と出逢えないとばかり、手放せなくなってしまう。
期待しちゃうから、好きだから、孤独感が増してしまう。
そんなつもりじゃない!
でも一旦ダメかもと思うと、もう言葉が耳に入ってこない。
意地悪な気持ちでわざと無視してしまうとか・・・途中は誰しも、やってしまった悔いが苦く蘇るかも。
だから、世代を超えて見届けたくなるのでしょうね。
恋愛が主のようで、実は大切な人との出逢いと別れが軸かなと思えました。
どんな結末になろうとも、少なくとも出逢えてよかった、楽しかった日々には嘘はない。
それを「ありがとう」と伝えられる生き方をしたいです。
ギリギリで間に合うようでしたら、是非!
読んでくださって、ありがとう。