こんにちは、ココアこと田中貴子です。
<子どものことを分かりたいのに、分からないと悩む親御さんに向けてのメッセージにしたくて、タイトルを変更しました>
先日、無邪気で自由でワクワクしている時分を思い出す場面で、頭をよぎったのは、この写真の私でした。
5歳くらいかなぁー。
親戚の家にお邪魔したときだったか、左手にミルキーの箱がありますね。
お洒落よりも、食い気よりも、スカートのポケットにキューピー人形が一緒にいるのが嬉しかったのです。
いつもなら妹と譲り合って1個ずつが、この日は数のことを気にしなくていい。
左右両方にあるというのが特別でした!
ポケットは”お気に入り”のモノをしまう定位置で、人形と妄想ストーリーを創って遊ぶのが好きだったのです。
ポケットを叩くと、ビスケットが増えたらいいな~♪を歌いながら、粉々になった体験も甘酢っぱい~。
そして、こちらは小学校の運動会で、教室に戻ってお昼ごはんを食べてたとき。
体育が苦手で臆病で・・・と思い込んでたのに、素の私がうっかり出てしまったような写真です(笑)
購入希望を募るため、数日廊下に張られたときは、本当に恥ずかしくて仕方なくて。
これ・・・私が引き取らなくちゃいけないのかなと、真面目に悩んだりしたのも覚えてます。
50年も経ってしまうと、何もかもが懐かしく、優しく風化してるけれど。
どの場面にだって、子どもなりの想いがあったんですよね。
久しぶりに写真と対面する中で、子ども時代の私がそばに来て、盛んにこうだった、ああだったと話しかけて来ました。
誰しもかつて通り過ぎたのに、いざ親となると、将来のためによかれが先行して、肝心の子どもの気持ちを置き去りにしてしまうことが沢山あります。
そして今と昔とでは、世の中の流れも、ネットを始めとして、子どもを取り巻く背景もだいぶ違います。
育ててきた子どものことは、一番みてきた私にかかっている、なんとかしなきゃとプレッシャーを感じる親の葛藤。
学校や家庭で決して言えない気持ちを塾でようやく話す、子どものリアルをひしひしと感じさせてくれる本を紹介しますね。
著者の鳥羽さんは、福岡で20年ほど前に学習塾を開業、現在は唐人町寺子屋塾長、単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150余名の学習指導に携わっておられます。
「おや ときどき こども」 鳥羽和久 著 (ナナロク社)
前著「親子の手帖」もよかったけれど、今回は子どもたちのリアルな叫びに多く頁を割かれています。
こうすればいいというアドバイスより、一緒に考えてみませんか?というスタンスが受け取りやすいです。
エピソードの中から、学校の人間関係で悩んでる高校1年女子の想いを取り上げさせてくださいね。
学校がなんとなく楽しくなくて、友達が本気でいらないなと思う瞬間がある・・・
そう聞けば、友達とうまくいっていないのでは?と先回りしそうになりますが、真相はちょっと違うのです。
(太字や色字は私がドキリとした部分)
友達と上手く波風を立てないように、周りをよくみて、相手の意思や状況に沿って、期待された自分をやっているうちに、モヤモヤ。
多数決の「みんな」に埋もれてしまい、自分の個性・らしさが失われてしまう。
私はどこにいるの?本当はどう思ってる?
友達の中で、自分を表現できてないんじゃないかな?
もしかすると・・別なところでも?
こんな自分じゃ嫌だ!いっそ1人でいたい。
友人関係をはるかに超えた、自分の在り方を問うているような、大きな瀬戸際に立たされてる気持ちが出ています。
大人だって、人間関係の問題では、嫌われたくないと思うばかりに相手に合わせてしまうことが多々あるのに。
親だからの常識や正しさで考えては、本質は見えてこない。
「あなたはこれをどう感じる?」と投げかけてくるので、瞬間たじろいでしまうかもしれない。
それでも、子どもたちはそれぞれに、今を必死に生きてるんだ。
自分の気持ちに正直でありたいと思った、あの頃を思い出してみよう。
子どもに理想を追い求めて、無理を強いてるかもしれない。
親や周りに気遣って、本当のことをどうしても言えないこともあったはず。
理解しようとしてくれる存在がいるだけで、どんなにか気持ちがふわっと楽になるかと思うのです。
親にとっても、子どもにとっても、真摯に向き合ってくれる人の存在を感じたいとき、人育てに希望を感じたいとき、読んでほしいです。
教育になると、相変わらず熱くなってしまいます。
読んでくださって、ありがとう。