東京の不動産屋が盛岡市内に建設するマンションのチラシに
「岩手山ビュー」と書いてあるのに「岩木山」の写真が使われていた
ということが盛岡市で問題になり、
盛岡市が抗議、
不動産屋は盛岡市長に謝罪したそうです。
なに細かいことで揉めているのでしょう。
「岩木山」でも「岩手山」でも、どっちでもいいじゃないですか。
なんなら岩手山が追分山で八甲田山でもいいのです。
下らないことで揉めるものです。
テレビでは司会者が
「マンションを作るってことは、そこの場、そこの地域の方々に愛されて長く暮らすってことですから、きちんと地元の人が何を大事にしているかを把握しておいていただきたいですよね」
なあんて在りがちな、適当な=空疎な言葉で締めくくっていました。
そもそもわたしなんて自慢じゃありませんが
「鳥取県」と「島根県」だって、どっちがどっちだか判りません。
小学生の時、いつも間違えていました。
いまでも間違えています。
更に申し上げるなら
「島取県」か「鳥根県」かも判りません。
「鳥取県」か「取鳥県」かも判りません。
紛らわしい、ややこしい、迷惑な名前です。
現地の人たちには申し訳ないけど、
どっちがどっちでも、いいんです。
たいして変わりません。
ちいさいことはワカチコです。
同じように迷惑な話に、「旧字体」、特に苗字の場合
という問題があります。
For instance、
渡邊、池邊の「邊」、渡邉、池邉の「邉」。
虫メガネで見ないと区別がつきませんが、本人たちはその字に拘って、
間違えると「間違っている」指摘をうけちゃったりします。
なんで「辺」にしないのでしょう。
「邊」にしろ「邉」にしろ、迷惑な話です。
偏屈な祖先が旧字体に拘ったり、
むかし文盲の人が多い時代、町役場の戸籍係窓口の人間が知ってる字を見せびらかしたくて勝手に変えたりした「名残り」、
日本には「名前を間違えては相手に失礼だ」
なんていう仕来り、風習?があり、ヘタに旧字体だと、そのまま旧字体で書かないと失礼にあたる
なんていう意識があったりし、
重ね重ね迷惑な話です。
同様に
野澤、奥澤、澤田、大澤、澤部の「澤」。
これも迷惑な話です。
なんで「沢」にしないのでしょう。
なかにはご丁寧に
「澤邊」「澤邉」なんていうのがいたりして、
いい加減にしろよ、
殴りたい気持ちです。
他にもいろいろ旧字体の名前があるでしょう、
高橋の「高」、
「髙」とか「喬」なんていうのがあります。
意味は同じなのに、なんで統一できないのか。
漢字の母国・中国の「簡体字」とまではいいませんが、
「簡体字」は「簡体字」で、草書体に則っているので解りやすいのですが
行政改革で事務の合理化を図ろうとするなら、
古い漢字を簡潔な新しい漢字に切り替えるべきではないでしょうか。
役人を、重箱の隅をつつくような間違い探しから解放してやるべきでしょう。
ついでに
鳥取県と島根県も一緒にしちゃっていいのではないか。
紛らわしいです。
自分たちだって「スナバ」と「スタバ」を一緒にしているんですから。
ハヒフヘ・ホホホホホ。