野暮用で銀座にいたのですが異国人の往来繁ク、

便意(小便)を催したので

銀座通りで立小便というわけにもいかず最寄りの「銀座シックス」(旧松坂屋)へ。

 

かつてはすいていたこのビルも館内、異国人の群れ、

ミャーミャー猫のごとき会話、喧噪

トイレをみつけ乾坤一滴ようやく放ち、身も心もスッキリ、晴ればれ。

 

表に出たら、おや久しぶり 大ちゃん。

上着を抱え、汗をふきふきグロッキー風、

立ち話もなんだし暑くもあるので取り敢えず喉を冷やしてひと息いれよう、

手近のそば屋で生イッパイ、干天に慈雨滲みわたり人心地。

 

大ちゃん、中近東から豪州を周ってきたそうで、

メッカ巡礼で1000人以上死んだのをみても判るように

向こうは日本の暑さなんて吹き飛ぶような猛烈な暑さ、非常識な暑さ、

それに較べれば日本は涼しい、なんて、

すこし前のグロキー風を忘れたかのようにぬかしていました。

 

中近東はUARのアブダビ、ドバイ、

豪州はシドニー、メルボルン、ブリスベンを見てきたそうですが、

行く先々で見たのは日本の若者。

 

それが留学とか観光というのではなく、出稼ぎ

ビルの清掃とか守衛、ウエイター、

職業に貴賤はないとは謂うものの、

そうした単純労働に、それでも向こうでは月給30万ぐらいになるらしいのですが、

そうした金に惹かれて日本の若者たち、出稼ぎ労働を恥ずかしいも思わずに就いているそうで、

情けない時代になったものだ、

 

それは若者の志の低さを嘆いているだけでなく

そうした労働を仕向けるほどにこの日本という国の経済状況が零落(おちぶ)れたことを、嘆いていました。

 

同感です。

 

1986年でしたか「人材派遣法」で派遣労働者が解禁になり

どこの会社も一斉に派遣子会社をつくって正規社員を減らし、賃金の低下を図り、

以来日本の低賃金化が始まり

 

その後「異次元の金融緩和」で日本の円の価値がどんどん下がり、国富の流出、物価の上昇がもたらされた上での「唐ゆきさん」現象。

 

かつては「ジャパゆきさん」を軽蔑していた日本人が自ら人身売買に身を沈める時代になろうとは。

 

そして、かの国では単純労働に30万円の給料を払えるのにわが国はその半分しか払えず

その彼我の格差を埋めることのできないわが国経済の脆弱さ

 

人手不足で外国人労働者を入れるために「技能実習」でなく「育成就労」だ

なんて言っていましたが

問題はそんなことではないのが解っていないようです。

 

なあんて話しているとますます熱くなるので切り上げて

再会を期して右左、

別れ別れになる門出、

 

帰りがけに

ちょうど日本銀行鳥居坂分室で買って来たという

来月発行になる渋沢栄一や北里柴三郎などの顔のはいった新1万円、5000円、1000円札の印刷された煎餅を「土産だ」といってくれました。

「日本銀行、公認のニセ札だ。」

してみると大ちゃん、まだ日銀との縁は切れてないようです。

 

別れたあと、

ビールの飲み過ぎでまた便意を催してしまいました。

 

サシスセ・シートトト。