立憲民主の岡田が
ようやく資金集めパーティの開催を諦めました。
バカな話です。
判断が遅すぎます。
普段岸田の判断の遅さを批判していながら、自分のことは見えないのでしょうか、
そもそも、こんな時期にパーティの開催を企画することが間違っています。
それを以ってしても、判断力が狂っています。
ジャスコ→イオンの岡田一族だから金にはそんなに困っていないだろうに、
政界なんていう腐った世界に身を置くと、精神も腐ってしまうのでしょうか。
なあんて思うキョウこのごろ、
中村泰の獄中死が伝えられました。
中村泰、
一般的には1995年の国松警察庁長官狙撃事件の容疑者として挙げられますが
彼の人生、革命ロマンに彩られた人生、
わたしは好きでした。
中村泰、1930年に東京に生まれますが父親が南満鉄道の職員だったため、満州に渡ります。
当時は治安が悪く邦人は、小学生でも護身用に拳銃を所持して生活していたと謂います。
「夕日と拳銃」の世界です。
中村泰、1940年、10才にして日本に帰国、
天性の頭の良さ、たいして勉強しないでも学校の成績よく、(戦前はそんなに勉強する者はなく、学業レベルも低かったという説もあり)
一時は「5・15事件」で逮捕されていた橘孝三郎の「愛嬌塾」「愛郷塾」で農本主義、超国家思想+アナキズムの洗礼を受けますが
大学は新制の東京大学教育学部に進学。
当時の東大、
上田耕一郎・不破哲三兄弟、渡辺恒雄、堤清二、氏家斎一郎、安東仁兵衛など日共の細胞が学内にはびこり学生運動真っ盛り、
感化を受けた中村も「武装革命路線」を走るべく東大を中退、資金集めに銀行強盗、
犯行中に警官に見つかって職務質問、面倒くさいので警官のこめかみを拳銃で撃って射殺、無期懲役で千葉刑務所に19年。
45才で千葉刑務所を出所、先物取引で1億円(当時)の革命資金を獲得、
刑務所でチェ・ゲバラに憧れ、ニカラグア内戦に義勇兵として参加すべく偽造パスポートで向かうも、ニカラグアに着いたら休戦中。
仕方ないのでアメリカに渡り拳銃の訓練、
日本で「武装革命」を起こすべく拳銃や弾丸を少しづつ日本に密輸、秘匿、
武装蜂起の日を待っていたと謂いますが
武器の秘匿場所が銀行の「貸金庫」ですから、武器の量もたいしたことなかったようです。
そうこうする内に1989年坂本弁護士一家殺人事件、1994年、松本サリン事件が勃発、
これらをオウムの犯罪と察した中村は上九一色村のサティアンを襲撃しようとしていたら翌年地下鉄サリン事件が勃発、
立て続けにオウムにテロ活動を赦した警察庁に腹を立てた中村、警察庁を成敗しようと警察庁長官を襲撃、
ついでに現場に北朝鮮のバッジを落とせばオウムに疑惑が向けられてオウムも成敗できると考えて落としたのが捜査をかく乱させることになってしまい、遂に迷宮入りすることになってしまったのは中村の計算違い、
一生懸命警察庁長官を襲ったのは自分とアピールするも、
いつもヘマをする警視庁公安部がオウム犯行説を主張、
(公安部は先ごろも「大川原化工機」不正輸出事件を捏造)
結局時効を迎え、事件を未解決にしてしまいました。
革命への夢と憧れを追い続け
92年の人生のうち40年は刑務所の中、
本望であったかも知れません。
以って瞑すべし。
合掌です。