アメリカのネブラスカ大学で「3Pコンテスト」があって、日本人の学生が優勝した

なんていうニュース。

 

エッ!「3Pコンテスト」?

一体どういうコンテスト?

採点の基準は?

しかも大学で?

 

と思ったら、

バスケの「3ポイントシュート」の数を競うコンテストだって。

だってさ。

 

なあんて思うキョウこの頃、

目黒川のサクラは一挙に開花、

有象無象も満開、

花を愛でるのでなく写真を撮りたいだけ、

そんな時代です。

 

目黒通りをぶらぶら下り

碑文谷を越え、都立大も越え、

自由通りも越え、「シェルガーデン」の先2ブロックほど行った処を左に折れてしばらく歩くと、

広大な敷地、緑に囲まれた一画に

いかにも高そうな、低層、3階建てのマンションが出現します。

 

スゲエな、自由が丘のこんな高い土地に3階建て、

しかも一画、すべてを使って。

 

なにか規制でもあるのだろうか?

道なりに左に回り込むと、動物の霊を慰めるみたいな石碑、

なんじゃろう?

 

帰ってきて地図を見てみたら

幸いかどうか判らないけどわたしの持っていたのは古い地図、

該当する場所に「白日荘」の文字、

「自由が丘3-12」の一画全てを占めています。

 

「白日荘」?

なんじゃろう?

取り敢えずwikipediaで調べてみると

「平岩米吉」という人物の住居の名称であることが判明、

しかし「平岩米吉」?

なんじゃろう?

 

調べてみると、

明治から昭和にかけて、在野で、イヌやオオカミの研究をした学者であることが判りました。

 

明治~戦前、

今みたいにアカデミズミが発達してなく、

「在野」で研究する学者が結構いました。

「在野」という言葉にシビれちゃいます。

 

南方熊楠、村井弦斎、太田黒元雄、牧野富太郎、・・・・・

など、大学に属すことなく、

まだ大学で、そういう学問分野が確立していなかったということもありましょう、

独りで、独自に研究の道を開拓する人間が結構いたようです。

 

そして平岩米吉もその一人、

西の牧野、東の平岩、

植物の牧野、動物の平岩

と並び称された人物だったようです。

 

元々亀戸の裕福な竹問屋(が商売として成り立っていたことが驚きですが)の息子として生まれ、

幼少期に乳母に読んで聞かされた馬琴の「椿説弓張月」で為朝が2匹のオオカミを手なずけ、為朝と一体になって活躍するさまに心躍らせ、

 

長じて結婚すると自由が丘(当時は荏原郡衾村)に1000坪の土地をもとめ「白日荘」と名付け、

そこを「犬科生態研究所」として

イヌ、オオカミ、ジャッカル、ハイエナなど数十頭を放し飼いにして、生態を探る研究をしたそうです。

 

そして幼少期のあこがれそのままに、

オオカミを手なずけ、自分の手からエサをやったりダッコしたりし、

時にはハイヤーで銀座に出かけ、オオカミと銀ブラをしたりしたそうです。

オオカミなんか見たことがないですから、行きかう人々は大型のイヌだと思っていたようです。

 

また「「動物文学会」を設立、

シートンの作品やザルテンの『子鹿物語(バンビ)』を日本で初めて紹介したそうです。

 

他にもいろいろなエピソードがあるのですが割愛。

 

平岩米吉、1986年に88才で死去、

その後「白日荘」は長女が守り、2019年に不動産会社に売却、

という次第です。

 

先日「中村屋」で「恋と革命の味」を食べたあと紀伊国屋に寄ったら

丁度、発売になったばかりの文庫本「愛犬王・平岩米吉」(ヤマケイ文庫)がありました。

(小学館文庫の再版)

興味のある人はそちらを。(軽い内容よ。)

 

むかしは面白い日本人がいろいろいたものです。

社会の「成熟」が、規制を多くし、人間をダメにするのでしょう、

そういうのは本当は「成熟」じゃないんだけど・・・・・。

 

タチツテト。